エンゼルス大谷翔平投手(26)が交通事故による影響により、チームバスが利用できず、大谷らチームメートも電車で球場入り。先発登板予定から急きょ、「2番DH」で出場変更となるハプニングがあった。

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◆93年8月6日 東海道新幹線の浜松駅付近で作業車両同士が衝突、脱線。始発から東京-新大阪間で「のぞみ」と「ひかり」が全面ストップ。当日移動して中日とのナイターを控えていた巨人ナインは、新横浜から「こだま」、静岡駅からJRの在来線、豊橋から名古屋までの72・4キロをタクシー移動。約5時間半かけてナゴヤ球場に到着したが、いつ巨人が到着するか分からず、試合は午後2時半に中止となった。

◆00年9月11日 阪神戦のため大阪入りしようとした巨人江藤、高橋尚ら主力選手14人、首脳陣4人を含む一行が乗った新幹線のぞみ59号が、大雨のためストップ。列車は三河安城駅手前で午後6時すぎに止まり、深夜1時をすぎても動くことができず、選手らが車内で缶詰め状態となった。高橋尚は12日に先発予定だったが試合は中止になった。

◆01年7月6日 日本ハム立石は松山移動のため羽田空港に向かったが、JR総武線・新小岩駅で起きた人身事故の影響で飛行機に乗り遅れてしまった。10時40分発の飛行機に乗るはずが、動かない電車の中に閉じこめられ利用便を急きょ変更。「ダメでした。電車に乗ったら人身事故でっていうアナウンスが聞こえて…」。練習開始から10分後に何とか球場に駆けつけた。

◆10年7月8日 スーツ姿の巨人ナインが山手線で“通勤”した。名古屋へ向かうため、前日の広島戦が行われた茨城から、まず特急で上野駅へ移動。東京駅から新幹線を利用したが、乗り継ぎ時間が40分しかなかった。このため一行は、上野-東京間は普段は使用しない山手線、京浜東北線の在来線に分乗した。原監督は「時間を考えれば電車が一番だからね」と話したが、突然の選手の登場にホームや車内では携帯電話で写真を撮るファンもいた。

◆11年4月5日 亜大・東浜(現ソフトバンク)が試合前の移動でトラブルに巻き込まれた。バスで移動中に事故渋滞に巻き込まれ、バスを降り、急きょ調布駅から満員電車の中ユニホーム姿で神宮まで移動。「電車の中で、両手を挙げたままでした」。予定より約1時間半遅れの到着。「アップをしっかりやったつもりでしたが…」と5回8安打5失点の内容を悔やんだ。

◆11年5月11日 ヤクルトが5時間半かけて富山から帰京した。開催予定だった北陸シリーズの中日戦が2試合連続で中止になり、急きょ帰京が決定。富山空港に向かったが、激しい降雨のため使用機が着陸できず欠航になった。富山駅から特急「はくたか」に乗車し、越後湯沢経由で東京まで乗り継いだ。小川監督は「しょうがないね。長旅になります」と駅の売店でパンを購入した。本隊より1時間遅く富山を出発した投手陣の東京到着は午後8時12分だった。

◆12年10月9日 オリオールズと地区シリーズを戦っていたヤンキースナインを乗せた電車が電気系統の故障でストップ。翌10日に先発の黒田らナインは午前1時にボルティモア駅を出発も約1時間後に停止、復旧のメドも立たなかった。バス移動に変更したものの、ニューヨークに着いたのは午前6時だった。

◆13年12月7日 ロッテ西野が新京成電鉄の新津田沼駅の一日駅長に就任。ホームでの列車出発合図など、ユニホーム姿で業務を体験した。球場まで電車通勤することで知られる西野は「今日も浦和寮から千葉まで電車で来ました。駅長は初体験ですね」と異例の出世? を喜んだ。

◆14年2月8日 渡米のため仙台から東京を目指したヤンキース田中夫妻を乗せた東北新幹線が大雪のため大宮駅で足止め。新幹線を乗り換え、大量のスーツケースとともに、東京駅までデッキに立ちっぱなし。