東京オリンピック(五輪)の聖火リレーは9日、秋田県内で2日目を迎え、阪急ブレーブスで通算284勝を記録した元中日監督・山田久志さん(72=日刊スポーツ評論家)が出身地の能代市内を走った。

山田さんは、1964年(昭39)の東京五輪で選手宣誓に立って「鬼に金棒、小野に鉄棒」といわれた日本体操界初の五輪金メダリスト・小野喬氏が能代市出身であることを引き合いにだした。

「小野先生が東京五輪で輝いて能代が盛り上がったのは鮮明に覚えています。その希望の灯を故郷で引き継ぐことができて光栄です。トーチの重みをひしひしと感じながら走りました」

前回東京五輪が開催された年、山田さんは能代高1年。野球部の米沢正裕主将が聖火ランナーで、2年生が伴走し、山田さんたち1年生は沿道から声援を送った。

その後、富士製鉄釜石を経て阪急入り。12年連続開幕投手で、3年連続MVP、最多勝3回、最優秀防御率2回、最高勝率4回のタイトルを獲得し、阪急の黄金期を支えた。

今回の聖火リレーも小中学生が市内で見学する計画だったが、新型コロナウイルス感染拡大防止を考えてイベントも含めて中止。「一生の思い出になるのに残念ですね」と話した。

「世の中がこのような状況でもろ手をあげて五輪に賛成ということではないが、我々はどうこう言えない。アスリートは必死に取り組んできている。わたしも故郷を走るのは2度とないチャンスで、開催できるというなら盛り上がってほしいし、この後、もし中止になっても自分自身の心には残ると思って走る踏ん切りをつけました」

前日8日は、地元の「山田久志サブマリンスタジアム」で「リトルシニア能代」を激励。総監督の大沢勉さん(元東映)は、高校の同級生でバッテリーを組んだ間柄だった。

大沢さんは「真っすぐで筋を通す性格はいつまでも変わりませんね」と再会を喜んだ。山田さんも子どもたちに言葉をかけた後、全員で写真に収まった。

「野球というのはやればやるほど難しい。でも負けるのは簡単だが、やり続けていれば、今後の人生に必ずいいことがある。ホームベースは家の形をしている。わたしも今、能代に帰って、ふるさとの素晴らしさにしみじみと浸っています。1点を奪ったり、1点を守って家に帰ったら、必ず家族に感謝の気持ちを忘れないでほしい」

17年(平29)に能代市民栄誉賞を授与された。山田さんは齊藤滋宣市長を表敬訪問し意見交換した。郷土が生んだ名投手に市長は「能代にとっての誇り。また我々にとっては頼もしい兄貴分です」と聖火リレーを見守った。

山田さんは「スポーツは尊いものです。もし開催されるのなら、世界各国から来日するアスリートも含めて無事に完走する五輪であってほしいと願います」と語った。【寺尾博和】