爽やかな笑顔とは裏腹に、大粒の汗でユニホームはグショグショだった。

プロ初先発したオリックス山崎颯一郎投手(23)は5回3安打無失点と好投した。最速は154キロを計測。大器の片りんを見せた。

81球の力投を終え、一塁側ベンチに腰を下すと、冷静に言葉を並べた。「初回マウンドに上がったときは、思っていたよりも緊張はしなかったです。1軍のバッターは1球1球、気が抜けない。1つアウトを取ることが、こんなにも大変なのかと、改めて感じました」。ピンチを切り抜けると、グラブを強くたたき、気持ちを前面に出した。

1軍再昇格した際に心境を訪ねると「いつも通りの意識で投げますよ。絶対、緊張すると思うんですけど、良い緊張感でやっていきたい。力むのは当たり前。思い切り力んだら良い」と割り切っていた。

何度も汗を拭い、夏の陣2021のグレーユニホームは、首から両肩にかけて変色していた。5回に女房役の若月が左翼席に先制2号ソロを放った瞬間、右拳を強く握り、絶叫した。

16年ドラフト6位。2軍で先発ローテーション入りし、鍛錬を積んでいたが“悪夢”が襲った。19年5月8日ウエスタン・リーグのソフトバンク戦(舞洲)。先発登板し、4回2死を取った、次のタイミングだった。

「投げた瞬間に『ブチッ』って右肘が鳴ったんです。何が起こったか、全然わからなかった。突然、力が全く入らなくて…」。動けず、その場でうずくまった。気迫で、1度は投球練習を試みるも「ボールが握れなかったんです…」と冷や汗が止まらなかった記憶がある。

19年8月に右肘内側側副靱帯(じんたい)再建のためトミー・ジョン手術を受けた。待っていたのは入院、リハビリ生活…。「今まで、考えたこともなかったですよ。骨がどう、とか。筋肉がどう、とか。神経がどう、とか…」。明るく無邪気な山崎颯が、ポツリとつぶやいた。「実際、見てみないと、(傷は)わかんないですよね…」と、袖をまくった。力こぶを作るように腕を曲げ、右肘の内側を見せる。「もう、痛くないんですよ。この傷が、勲章になればいいんですけどね…」。そっと添えた左手の親指で、ぷっくり膨らんだ手術痕をなで「前向きに。同期の(山本)由伸、バラ(榊原)が投げていたので負けずに、という気があった」と仲間を思った。

昨年10月1日に実戦復帰し、150キロも計測した。順調に回復を見せ、育成契約を経て、昨オフに背番号は「63」に戻った。今年5月1日ソフトバンク戦(京セラドーム大阪)で、プロ初マウンド。救援で1イニングを封じた。中嶋監督も「これが、彼の始まり」とたたえた。山崎颯は「まだ、僕は全然良い投手ではない。ただ、しっかり(リハビリを)やっていけば、マウンドに戻れる証明ができた」と納得の表情だった。

帽子を脱ぎ、長袖アンダーシャツで額の汗を拭った。度胸満点の190センチ、長身のイケメン右腕は「メンタルだけは任してください!」。オリックスの先発陣に、また1人、期待の戦力が現れた。【真柴健】

◆山崎颯一郎(やまざき・そういちろう)1998年(平10)6月15日生まれ、石川県出身。敦賀気比では2年春夏と3年春に甲子園出場。16年ドラフト6位でオリックス入団。今季5月1日ソフトバンク戦で1軍戦初登板を果たした。190センチ、90キロ。右投げ右打ち。

▽オリックス若月(5回に先制2号ソロ)「(山崎)颯一郎が頑張って投げていた。なんとか勝ちを付けたいと思っていた」