金メダルを実家の福井へ !  侍ジャパンで主軸を担うオリックス吉田正尚外野手(28)の実家に、オリックス担当記者が「潜入」。トロフィーなどであふれるリビングや、将来の夢は大リーグと記した小学校の卒業文集など、秘蔵品を公開してくれた父正宏さん(62)が、7日決勝の東京五輪で金メダルを狙う息子に温かいエールを送った。【取材・構成=真柴健】

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増え続ける「勲章」を、丁寧に並べながら、吉田正の父正宏さんはうれしそうに言った。「自宅に置いてても邪魔になるのか…、実家に全部、送ってくるんですよ。毎年、正月に福井に帰ってきたときに(本人は)見ていますね」。

リビングにはベストナインのトロフィーやプレミア12のユニホーム、首位打者獲得の記念品、グラブなどがずらりと並び、まるで吉田正尚記念館。「ここはプロ野球に入ってからの分だけ。敦賀気比、青学大の分は、まだ正尚の部屋に残してあります」と誇らしげだ。

正尚は3歳上の兄の影響で小学1年からバットを持った。最初に指名した“練習パートナー”は野球経験のない父だった。「バットを速く振るとか、ボールを遠くへ飛ばす。それを一番に考えていましたね。小学1年で外野の頭を越えていました。同じチームでも体の大きい子に、負けたくないと」。負けず嫌いの次男は、四六時中バットを振った。

小学校の高学年になると「家でも練習したい」とますますのめり込んだ。「庭の木と木の間にネットを張って、ティー打撃を。私がトスして、打っていました。ネットを越えていく打球がよくありました」。冬は雪が積もるため、「車庫の中にもネットを作った」という。「違うスポーツをしたこともないので、本当に野球が中心の生活。家で練習、休みでも友達と野球。あとは…」。専属コーチとして付き添ったのは自宅だけでない。「バッティングセンターに連れて行ってほしいと」。自宅から車で15分ほどの「北陸バッティングセンター」によく通った。

「気がつけば自分でテレビのスイッチを入れて、メジャーリーグを見ていましたね。あの頃はあまりプロ野球が映らなくて…。自然と大リーグに夢中になってました」。90年代後半、インターネットは発達前で、まだCS放送のない時代。福井で育った正尚少年はNPBではなく、メジャーに憧れを持つようになった。

麻生津(あそうづ)小学校の卒業文集に「大リーガー」と将来の夢を記した。敦賀気比では甲子園に2度出場。福井を飛び出して青学大に進み、オリックス入団後も着実に成長を重ねて、日の丸を背負った。その福井生まれ、福井育ちの「怪物」が、7日の東京五輪決勝で新たな勲章をつかもうとしている。「金メダルを見てみたいですね。孫と一緒に帰省してくるのが楽しみです」。またリビングが華やかになりそうだ。