巨人亀井善行外野手(39)が21日、都内のホテルで会見を行い、今季限りで現役を引退すると表明した。上宮太子高から中大を経て、04年ドラフト4位で巨人入り。今季で巨人一筋プロ17年目のベテランがバットを置く。

約50分に及ぶ引退会見の一問一答は以下の通り。

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-同じ奈良出身の岡本和真選手に伝えたいこと

亀井 和真ですか(笑い)。若くして4番を務めてますし、彼がつらい思いをしているのは裏でずっと見て来てますし。結果をずっと出し続けている選手なので、リスペクトしかない。僕から何も言えない選手になってしまった。これからジャイアンツを背負っていく選手に必ずなると思いますし、応援したい。

-坂本には

亀井 彼は入団当初からファームで3、4番打たせてもらった時期もありましたし、ともに昔から戦ってきた人間なので。彼も体も強くてうらやましいところはたくさんもありましたし。若くして2000安打打ちましたし、彼のこともリスペクトしかないですね。もうこれからまだまだ彼は現役続けますけど、3000本目指して頑張って欲しいと思います。

-高橋由伸前監督は

亀井 冷たい方ですけど(笑い)。昨日の中井大介(引退試合)のコメントにありましたけど、「自主トレメンバーが全員ユニホームを脱ぐ」って先に言っちゃったので、言ってしまったんじゃないかと思いましたけど(笑い)。全くもって追いつけない存在でしたけど、最高の背中で、最高の選手でした。準備から全て学ぶことが多かったですし、体のケアもあの人のまねばかりしてました。そういうところを怠らないところがすごいなと思いましたし、目指す選手だなと。追いつけませんでしたけど、ありがとうございましたと伝えたいです。

-マギー選手敬遠の後、ホームランで抱き合った

亀井 ぱっと思い付くのは最初に打っとけよと自分で思うんですけど、8回の途中から出て、なかなかあんなに3回チャンスが回って来ることはない。由伸さんも言ってましたけど、自作自演と言うんですかね。チームが勝つか負けるかの試合で自分がことごとく凡打して負けてしまうかもしれないと言う状況で、チームに迷惑かけましたし、最後の最後に神様が居てくれたなと思うシーンでした。

-阿部慎之助1軍作戦コーチは中大の先輩でもある

亀井 偉大すぎて語ることができないんですけど、本当にお世話になりましたし、入寮の時、最初に顔を出してくれて。私生活から何から、感謝してます。技術的なこともそうですし、教わったことはたくさんありましたね。本当に最高の先輩でしたね。

-原監督へ

亀井 入団当時は堀内監督で2年目から原監督になって。そこから始まったんですけど、原監督じゃなかったら自分はここまでやってこれなかったと思います。はっきし言って。監督に何度も助けられましたし、何度もチャンスをいただいた。そこに耐えられなかった思いはありますね。申し訳ない思いです。

-助けられた

亀井 それの方が自分の思いとしては、本当に申し訳ないなと思います。

-家族へメッセージ

亀井 すみません、無理やり泣こうと思ったんですけど、泣けなくて(笑い)。プロになる前から見てくれて。ここまで不安ばかり与えてました。子どもたちも正直学校で何か言われてるんじゃないかと不安でしたけど。自分はたいしたことはないんですけど、本当によく耐えてくれて、我慢して支えてくれたなと。感謝してます。これからプレーしている姿は見せられないですけど、まだまだ一生一緒に居ると思いますので、まずはお礼を言いたいと思います。本当にありがとうございました。

-ファンへ

亀井 本当に17年間、長いようで短かったと言うんですか。あっという間でしたけ、ファンの方に支えられてここまでやって来られましたし、あの温かい声援でパワーをもらいました。大歓声でサヨナラ本塁打を打ったりできたと思う。ファンのみなさまには本当に感謝してます。ありがとうございました。

-重圧になるような数字もあったと思うが

亀井 まず08年、自分の中で少し力がついてきたなと思った年で、WBCを挟んで、09年、良い成績が残せました、その後ですよね。もちろん2割9分、25本塁打、打てましたけど。ものすごくプレッシャーには感じました。その上、長野選手が入って来ました。同じポジションです。彼、大学の時から知ってたんですけど、ポテンシャルが高く、正直勝てないと思いました。その重圧も、ものすごく感じて、正直口で攻撃したこともありました(笑い)。半分冗談ですけど、彼に勝てなくて、自分の中で失ってしまったものがあって、長野追いつき追い越せ、そういう気持ちで14年まで苦しい気持ちがあった。14年からトレーニングの仕方を変えて、人より走ってトレーニングの仕方を変えて、後藤コーチから教えもあって、少し引き出しが見えた年でもありました。そこから何とか持ち直したというか、なんとかやっていけそうだなという感じはあったんですけど、やっぱりケガですね…。ケガというのが常に付きまとって、毎年思うような1年にできなかったんですけど、これも自分らしいと言うか、付き合って行かないといけない。毎年、そういうふうに思ってた。全てが良い財産になりました。

-外野手としてのこだわり、醍醐味(だいごみ)

亀井 僕自身、誰もが見てもファインプレーは僕にとってはファインプレーではなくて、目に見えないポジショニングだったりが自分にとってのファインプレー。外野手としてこだわりを持ってやって来ましたし、後輩に伝えたいことはたくさんあります。今の時代データもありますし、そういうところを活用しながらやっていかないといけない時代なので。そういう所を後輩たちに伝えて行けたら良かったんですけど、後輩たちにはなんていったらいいか分からないですけど、後輩たちには最高の外野手になって欲しいと思います。

-引退を決意してから試合に臨み方の変化、残りへの意気込み

亀井 本当は5月に原監督にも伝えるつもりでした。いろいろありまして、(炭谷)銀仁朗のトレードとかありまして言えるタイミングがなくて、その期間ちょっと悩む時期もあったんですけど、それでも足が戻って来ない、良くなってきたと思っても思うようなパフォーマンスができない。1年ずっと悩みっぱなしだったんですけど、気持ちは変わらなかったですし、9月にはっきりとやめます、引退しますと決めました。今後は…まあ、泣いても笑っても残り少ないので、ヒーローインタビューでも言いましたけど、体は壊れても良いので思いっきりバットを振りたいと思います。

-亀井選手にとって野球とは

亀井 野球とは?(笑い)。自分が語れるほどじゃないんですけど、9歳から野球を始めさせてもらって、本当に楽しくやらせていただきました。ただプロに入ってからほとんど楽しいと思ったことはなく、9割苦しかったです。選手みんな、楽しんでやってる人はいないと思うんですけど、楽しむって難しくて。遊びで始めた野球が職業になってファンのみなさんに感動、勇気を与えていかないといけないと思ってます。子どもたちの目標になる選手にならないといけないと思っていました。坂本勇人みたいなスター選手にはなれなかったですけど、また違って視点というか、上から下まで貴重な経験をさせていただいたので、子どもたちが「亀井は良い選手だったな」と憧れてくれたらよかったなあと。

-自分に声をかけるなら

亀井 未練はないというか、正直ホッとしてますし、よく何度も何度もはい上がってきたなと。自分を褒めてあげたいと思います。

-息の長い選手になる秘訣(ひけつ)

亀井 自分はそうじゃなかったんですけど、やっぱり心技体がそろわないとなかなかプロの世界は厳しいんじゃないかと。自分は運良くやって来られましたけど、普通ならもっと早く終わってたかもしれないですし。将来はみなさん、本当にまずはケガなくやって欲しいと思いますね。僕から言えることはケガですかね。技術はみんなあると思うので、ケガなくやって欲しいと思いますね。今ジャイアンツでスタメン張ってる選手は体強い選手ばかりで。体強ければ苦しさにも耐えられるし、体を大切にして、これから頑張って欲しいと思います。

-野球の魅力とは

亀井 外から見てたわけじゃないので、何て言ったらいいか分からないですけど、とにかく選手は全力でやること、一生懸命がむしゃらにやることで世間にみなさまに何か思いが伝わるんじゃないかと思います。勝負の世界なので、勝ち負けはありますし、落ち込むこともあります。ただどんなときでも全力でやる。これしかないんじゃないかと思ってます。