元西武の中崎雄太氏(31)は「カメラの画面から消える投手」として、一躍、脚光を浴びた。8年目のシーズンだった16年。生き残りをかけ、現役時代に「左キラー」と称された清川栄治2軍投手コーチと二人三脚で取り組んだサイドスローで新境地を開拓した。

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打者にほぼ背中を見せるような体勢から、セットポジションに入る。ゆっくりと上げた右足を超クロスステップで着地させ、ボールを投じる。リリースの直後、体が大きく左に流れ、センター方向から映し出された画面から、中崎氏の姿は消えた。

「とにかく、生き残るために必死だったんで。最初はあんなに横に体がいってなかったんですけど、投げやすい形を探していくうちに、あのフォームにたどり着いたんです」

前年の夏、左手の血行障害の手術を受け、背水の陣で臨んだシーズンだった。08年ドラフト1位で入団したが、プロ入りから7年間で1軍での登板は13年の7試合。「手術もしましたし、何かを変えるしかないなと」と清川2軍投手コーチと着手したのが、サイドスローへの転向だった。

「ドラフト1位で呼ばれたのに、チームにすごく申し訳ないという気持ちはありました。(入団時に)たくさんお金もいただいて、何とか貢献したい、恩返ししなきゃという一心で挑戦を決めた」

日南学園時代、本格派左腕で全国に名をはせ、プロでも力勝負に憧れた。ただ、ハイレベルな打者が集まるプロでは力だけでは通用せず、壁に直面した。野球人生を懸けたサイドへの転向は、投球フォームとともに自身の野球観をも変化させた。

「それまでは力いっぱい投げて、力勝負という考えしかなかったんですけど、スピードがなくても打者との感覚、間合いとかで抑えられることを学んだ」

140キロ中盤をマークした速球は、130キロに届くか届かないか。それでも、打者の反応を見れば戸惑いは明らかで、特に左打者に効果を発揮した。「画面から消える」唯一無二の個性。強烈なインパクトを残したが、8試合の登板で10月に戦力外通告を受けた。

17年からはプロ野球の世界を離れ、BC栃木、社会人野球のエイジェックを経て、今年からエイジェックの「NPB養成専門アカデミー」で講師を務める。

自身は指導者へ転身したが、弟の翔太(29)は広島でプレーを続け、来季で12年目のシーズンを迎える。現役時代はよく比較された弟に抱く思いは、兄としての優しさと同じ野球人としての尊敬の念だった。(連載4につづく)

【連載1 弟より先に戦力外】>>

【連載2 アドバイスを聞き流し】>>

【連載4 弟・広島翔太への思い】>>