智将・三原魔術がよみがえる! 日刊スポーツの大型連載「監督」の第6弾は巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトを率いて通算監督勝利数2位の三原脩氏を続載する。

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1958年の日本シリーズ第4戦は先発した稲尾和久が10安打を浴びながらも完投勝ちを収める。特筆すべきは、三原が途中からキャッチャーを代えていることだ。巨人に先制されたこの試合、西鉄は3回までに同点に追いついた。

すると三原は、初戦からマスクをかぶった和田博実を下げ、ベテランの日比野武を起用。若手で主戦の和田から、レギュラーシーズンに31試合しか出場していない38歳のベテラン日比野への交代を“ひらめき”といった。

「捕手を女房役というのは当を得ている。チームを家庭に見立てて、女房に収まる役どころだからだ。チームが3連敗した後の一戦で気分転換がカギを握ったが、投手を代えるのではなく、女房役を代えることでピッチャーの気分転換になる」

和田のリードに不調を察したのもあったが、巨人の目先を変え、初戦、第3戦に登板した稲尾がフラフラしていたところを生き返らせた。三原はこの先もずっと日比野を先発で起用し続けた。

ただシリーズで1勝したとはいえ、瀬戸際に立たされていることに変わりはない。しかも、第5戦に先発した西村貞朗が立ち上がりから与那嶺要に3ランを浴びて、1死もとれず降板した。

下手投げに改造した島原幸雄につなぎ、0対3でビハインドのまま4回から稲尾を投入。7回には中西太の2ランで1点差に迫ってムードが生まれる。ここから三原は巧みに選手を動かすのだった。

1点を追う9回は、無死二塁の好機で勝負強い豊田泰光に巡った。監督がコーチスボックスに立っていた時代で、三原は豊田に近づいて「よしっ、ここは打ってかえすか」と耳打ちする。

三原の本心はバントで送って1死三塁の場面を作りたいはずだが、あえて逆の作戦を促した。「送るか?」というと、豊田は「いや、打ちたい」と言い出しかねない。その心理を逆手にとった三原は、先に強攻を勧めたのだ。

豊田の答えは、監督のシナリオ通りだった。「いえ。ここは送る手でしょ」。三原の“ささやき”に豊田はまんまと操られ、送りバント成功だ。1死三塁。中西のゴロは三塁正面を突いて2死になったが、5番関口清治がしぶとく適時打で同点に追いついた。

土壇場で巨人藤田元司から値千金の一打を放った関口にも「勝負球のシュートを狙え」と耳元で声を掛けた。“ささやき戦術”に兵は踊った。延長10回には投手の稲尾がサヨナラ本塁打を放って、第6戦も2対0の完封勝ち…。もはや奇跡としか言いようがない。【寺尾博和編集委員】(敬称略、つづく)

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