初めての1軍マウンドが、最後の1軍マウンドになった。公式記録には3回4失点とある。
「初回1、2番を確か3球三振だったんですよ。デビュー戦で3者連続3球三振だったらすごいなと思って。で、小笠原(道大)さんに投げたらレフトポール際にホームラン打たれて。甘くねえな、と思って。周りが見えてなかったですね」
わずか10球ほどで酸いと甘いを味わい、2回以降を覚えていない。
その後は故障もあって、入団当初148キロを計測した球速も全然出なくなった。1年目のオフの過ごし方を間違えたからだと思っている。「高校、社会人と練習内容が決まっていたのが、突然休みと言われて何をしていいか分からなかった。自分に投資できなかった。それが全てかな」。
3年間、結果が伴わなかった。球団に背番号変更を打診された。空き番から47を選んだのは「自分が付けてる17のアイテムに、1本線を足せばよかったから」だ。
この年、抜群の成績を残した左腕がいた。最優秀防御率で16勝1敗と文句なしの活躍。契約更改を前に、成瀬から着信があった。「番号、いいですか」。17番はエースに継承された。
今、佐々木朗の背中を見て思う。
「プロに入って最初に付けさせていただいた番号なんで、思い入れはありますね。やっぱね、右ピッチャーだし、頑張ってほしい。僕が付けてたって知らないでしょうし、言わないけど。ははは」
戦力外通告はすんなり受け入れられた。09年10月だった。2軍の浦和球場には、入団した時から都市伝説があった。赤とんぼが体に止まると、その年限りで戦力外になるという通称「赤とんぼの呪い」。「辞める時とかね、ああ、止まったって。そこまで気にしないですよ、笑い話です」。そろそろかと思っていた。
裏方になっても、雇用契約が1年更新なのは選手時代と変わらない。打撃投手やブルペン捕手といった技術職は加齢との戦いだ。「絶対に衰えてくる。今の目標は福嶋さんです」と、94年からBPを務める54歳のベテランを挙げた。
2年に1度はギックリ腰になる。投げたくても投げられない時が来るかもしれない。それでも「もう要らないって言われるまで」は続けたい。
かつて失敗したオフの使い方もうまくなってきた。「年数を重ねると、体がしばらく休んでも投げられるようになってくる。12月は1回だけ壁当てしましたけど、そういうのも経験っていうか、体が変わってくるんだなと思って」。1月に選手の自主トレを手伝いながら、キャンプまでに十分体が動くよう調整していく。
「なるようになる」はおまじないのような言葉だ。仕事で悩むことがあっても、1人の時間に「何とかなる」と思えば気持ちが落ち着いた。
野球を始めたのは小1。小さな街の少年チームで放課後、毎日練習に明け暮れた。田舎で遊びが少なかったからかもしれない。生活の中で野球はやっているのが当たり前だった。もし今後、野球から離れることがあれば、大型車の免許を取ろうかなと考えている。養う家族がいるから、今から漁師になるのはちょっと難しいな、と思う。
実家には今も、プロ入り記念につくった練習用グラブがとってある。タカアシガニのイラストと、長五郎丸の文字の刺しゅうが入った思い出の品だ。
「インパクトがあるのがいい、人と違うのがいいなと思って。昔は目立ちたがりだったんで。今は全くですけど(笑い)」
今年で40歳になる。野球に向き合い、野球に導かれて歩いてきた。「やることをやっていれば、道は開ける」。人生は、なるようになる。【鎌田良美】(敬称略)