春の風を受けて、神宮球場のセンター後方でへんぽんと翻る「NIPPON CHAMPIONS」の旗。2021年のプロ野球を制したヤクルトが29日、本拠開幕戦を迎える。前回、神宮でチャンピオンフラッグが揺れていたのは、20年前。名物応援団長の岡田正泰さんが亡くなったのも、その年だった。

岡田さんは、前身の国鉄時代から応援一筋。負けてばかりの時代も、家業の看板店の腕を生かした自作の鳴り物や垂れ幕を持ち込み、大きな声で観客を鼓舞した。ビニール傘を振って東京音頭を歌う応援スタイルも発案した。

ヤクルト応援団「関東ツバメ軍団」代表の森下真康さん(44)は「優しい人で、僕たち若い団員をとてもかわいがってくれました」と懐かしむ。「おやじ」と呼んで慕う団員を、正月には自宅に招いて新年会を開いた。本拠の開幕戦には妻の千鶴子さんが赤飯を炊いて振る舞った。家族的な応援団の空気は、岡田さんの人柄そのものだった。

森下さんは時に岡田さんの言葉を思い出すという。

「弱いんだから、応援だけは負けちゃだめだ」「巨人の1勝とヤクルトの1勝は重みが違うんだよ!」「1点取ろう。1点取って東京音頭歌って帰ろうや」

「弱いヤクルト」が骨身にしみる岡田さんの言葉は、観客もまばらな負け試合でこそ輝いた。だが、90年代のヤクルトは、日本一3回の黄金時代。岡田さんは01年の日本一を見届けて、翌年7月に逝った。71歳だった。その後の20年でヤクルトは、最下位6回を含むBクラス10回と長い暗黒期に突入する。岡田さんの言葉は死後、重く響いた。

00年代半ば以降のプロ野球は「ボールパーク化」が進み、神宮でもスタジアムDJやチアリーディングなど洗練された球場主導の演出が増えた。「腹に力を入れて大声で! ソレ、かっ飛ばせ~」と観衆を巻き込む岡田流は、時代に合わなくなった。応援団も新たなメンバーが加わり、顔ぶれが変わっていった。

今、関東ツバメ軍団は20人ほど。10~30代半ばの彼らにとって、01年の日本一も岡田さんの勇姿も、もはや「歴史上の物語」だ。森下さんは言う。「おやじさんは、発想が柔軟で常に新しいことを考えてました。存命ならきっと今のスタイルもうまく採り入れつつ、盛り上げていたでしょう。応援は楽しくというおやじさんの気持ちを若い世代に伝えていきたいです」。【秋山惣一郎】