広島ドラフト1位の黒原拓未投手(22)。最速152キロ左腕の分岐点の1つが、海南中(和歌山)2年にあったと当時の軟式野球部監督で現顧問の中岡研二氏(39)が明かした。冬場だけ駅伝部との兼部で、毎朝のランメニューから始まる1日が3年最後の夏につながった。中学2年から黒原を指導してきた中岡氏が、強さの原点を語った。

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黒原の飛躍につながった中学2年の冬。中岡氏は10年近く経過した今でも、鮮明に記憶している。「彼にとっては中学2年の冬が1つの分かれ目だったでしょうね。冬だけ駅伝部に入って、たくさん走るようになって」。駅伝部の練習では毎朝2~3キロを走ってから1日が始まる。授業を終え、放課後は軟式野球部の練習。とにかく走ることが多かった。いつしか走り込みは習慣化された。冬が明け、春になっても走った。練習試合と練習試合の合間には「50メートルの往復を10本くらい走って、それから試合で投げたこともあった。ただ全く手を抜くことはしなかったですね」。課せられたメニューを全力でこなした。

そのかいあってか、中学3年時は他を寄せ付けなかった。最後の夏も「市レベルの小さな大会では無双してました。5試合ほど投げてほとんど完投。点はほとんど取られてないんじゃないかな」。勝ち進んだ県大会もチームを決勝まで導いた。投球イニング数の制限があり、決勝は途中でマウンドを譲った。後続の投手が失点し、全国大会は惜しくも逃した。「勝たせてあげたかったですね。あれほどの能力がある投手はなかなか出てこない」。

その能力が智弁和歌山で当時監督だった高嶋仁氏(76)の目にとまり、進学が決まった。「そんな強豪校で大丈夫かと、正直思いましたね(笑い)。ただ彼の意思は固かった。最後にはエースになって。ほんとすごいですよ」。智弁和歌山3年の夏。甲子園大会で敗れた黒原が、中岡氏のもとを訪ねた。聖地の土を手渡し、明言した。「プロに行きます」。

関学大に進み、迎えたドラフト当日。広島が1位で指名した。「外れではありますけど1位。驚きましたね。1人の親心として、今はもう心配の方が大きいです」。1軍登板時は直視できないほど心配しながら試合を見ている。そんな不安も駅伝で培った強い下半身から放たれる快投が、振り払ってくれている。【前山慎治】

○…現在黒原はコンディション不良で2軍調整を続けている。開幕は1軍で迎え、12試合に中継ぎ登板し1ホールド。防御率は6・52と苦しんだ。5月4日巨人戦で2/3回を投げたのが最後で、翌5日に出場選手登録を抹消された。中岡氏は「中学のときも、智弁和歌山(で甲子園出場)のときも、そしてドラフト(1位指名)のときも期待を裏切ってくれた。プロの壁もあると思うが、2、3年くらいかけていい。ゆっくり花開いてほしい」と活躍を願った。

◆黒原拓未(くろはら・たくみ)1999年(平11)11月29日生まれ、和歌山・海南市出身。海南中から智弁和歌山に進み、1年秋からベンチ入り。3年夏に甲子園出場。関学大4年春は5勝1敗、防御率0・70をマークし、最優秀選手、最優秀投手、ベストナインに輝いた。21年ドラフト1位で広島入団。今季1軍登板はすべて中継ぎで12試合。0勝0敗1ホールド、防御率6.52。背番号24。173センチ、76キロ。左投げ左打ち。

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