阪神糸井嘉男外野手(41)の今季限りでの現役引退が13日、発表された。この日の午前中に、兵庫・西宮市のホテルで引退会見を開いた。糸井節全開の一問一答は以下の通り。

 

(冒頭のあいさつ)

「お集まりいただきありがとうございます。このたび、糸井嘉男は現役を引退することに決めました。今まで本当にありがとうございました。昨日泣きすぎて一睡もしてないので、今日は泣きませんのでよろしくお願いします」

 

-現役引退を決めた今の思いは

「いやー、そうですね、もう、やりきりました。41歳まで野球ができて本当に幸せでした。この年までやらせていただいた阪神タイガースには本当に感謝しています」

-引退を決意した理由は

「たくさんありますけど…。やっぱり、なんですかね…。みなさんが超人、超人って呼んでくれましたけど、もう超人ではないのかなと感じましたし、それは冗談で。この2、3年はやっぱり、自分の中で引退っていうことは常に頭にありました。成績もそうですし、打席での感覚だったり。周りから見てるよりかは、自分で感じることの方が、ちょっと誤差というのは感じてました。あと、2軍での試合で、なんか若手の子らが…。邪魔じゃないけど、そういうなんかの番組で鳥谷が言ってたんですけど、それと本当に同じような気持ちになったというか。それとやっぱり若手の子らがアドバイス求めてたというのもあったんですけど、それでアドバイスして、試合でホームランとか打っているのを見て、本当に心の底から自分の事のようにうれしかったんですけど、それっていうのは選手じゃないのかなと自分自身、それを感じました」

-引退を最初に伝えた人は

「全て決断というのは自分でしてきたので、自分の心の中で。リトル糸井です。パクリ? そうです、自分で、自分の心の中です」

-矢野監督には相談した

「はい、ご連絡しました。嘉男との4年間、喜び分かち合ったり、悔しがったり、そういう時間を過ごせて本当に良かったと。代打というポジションが多かったんですけど、腐らずにやってくれた。そういう泣きそうになるような言葉を頂きました」

-金本前監督に報告は

「はい。シーズン中もたびたびというか、たまに連絡いただいたりするんですが、『おい補欠』とか、『何しとんじゃい』とか連絡をいただいて。金本さんからしたらもうしょぼい成績なんで、『そんな成績でようそこまでやったのう』って、最高のねぎらいの言葉をいただきました」

-19年間を振り返って

「やっぱり長いようで短かったなと。入団していろいろありました。僕の中ではやっぱり野手に転向という選択したあの出来事が、僕のプロ野球選手の土台でしたし、あのとき必死にやっていた練習というのが、やっぱり土台かな、19年できたのかなと僕の中で思っています」

-苦労があって日本一、リーグ優勝を成し遂げたパ・リーグでの日々を振り返って

「日本ハムでは僕の野手としての可能性を引き出していただいて、それに応えようと僕も必死に頑張って。先輩たちにも恵まれましたし、数々のすごい先輩たちに恵まれて、その人たちに追いつこうと必死に頑張っていて。そしてオリックスでは、トレードという形で移籍したんですけど、主力として迎え入れてくれて、そこに僕も認められないといけないという気持ちで頑張ってきました。タイトルも取らせていただいたし、この2球団には本当に感謝しています」

-17年からは阪神。この6年間はどんな時間

「いやあやっぱりパ・リーグから移籍してきて、本当に衝撃を受けたというか。ファンの声援、熱狂的なファンの声援、マスコミとかもそうですけど(笑い)。全然違うなと。そこに本当に衝撃を受けました。そんな甲子園球場で初めてプレーさせてもらって胸が高鳴ったというか、長年やっている中でタイガースに移籍しても、すごい胸が熱くなかったというか。そんなところで野球ができて、最後そこで終われるというのは僕の中で本当に幸せです」

-メディアを通して「勝ちたい、絶対勝つ」と話してきた。阪神での優勝への思いが強かった

「はい。もちろん。FAの時に力を貸して欲しいと言われて入団したので、絶対に優勝は経験したかったんですけど、それはちょっと心残り。できなかったというのは僕の中では心残りなんですけど、これからそれは今の選手たちが絶対にかなえてほしいなって。今年もまだチャンスはありますし」

-糸井選手と言えばケガに苦しむ時間が多かったが、その中で支えとなったものは

「支えたもの? ケガをして支えた? そうですね、やっぱり病院の先生、治療院の先生には本当にお世話になりましたし、もうホンマにできひんくらいの体になったこともあった。それでもやっぱり野球が大好きですし、常に向上心というのを持ってやってきたので、常に満足することなく、また明日、また明日と言い聞かせてやってきた。そういうのがあったと思います」

-本当に数々の記録を残してきたが、一番誇れる記録は

「記録ですか? そうですね…首位打者とか、盗塁王とか記録、タイトルを取らせていただきましたけど、誇れるとなると、記録ではないんですけど、やっぱりピッチャーから野手になると決断した時からの出来事というのは、アスリートとして、選手として誇れるかなと思います」

-当時は投手から野手で大成した例も少なかった。その中で結果を残したが、できる自信はあったか

「正直…ありました。ハッハッハ。そうですね、すみません質問もう1回いいですか(報道陣爆笑)」

ーー投手から野手に転向。なかなか例がない中、糸井選手を突き動かしたものは

「質問変わった(笑い)。いやもうやっぱり本当にその時にこの世界の厳しさ。2年くらいで『もう糸井君使えないよ』と言われたので、本当に厳しさというのを思い知らされました。そこからやっぱり僕も練習やったり、全て見直して打ち込むことにしました」

-糸井選手は記録だけでなく、記憶に残る選手だった。一番、印象に残っていることは

「難しいなあ…、記録、記憶に残ると言っていただいてうれしいんですけど、いっぱいありすぎてもう、昨日も思い返していてありますけど…。WBCもそうですし、この3球団のことだったり、でもやっぱり甲子園で初めて大歓声の中でプレーさせてもらった時のあの興奮というのは、本当に忘れません。本当に忘れないですし、幸せでした」

-そして、阪神には糸井選手を慕う後輩たちがたくさんいる。改めて後輩たちへ託す思いは

「本当にタイガースには、すごい、いい若い選手もいますし、これだけ年が離れていても、仲良く接してくれたり、まあ、健斗(糸原)はちょっと生意気でしたけど(笑い)、仲良く接していただいて、本当に若い選手、後輩にはすごく感謝しています。これからね、いまもみんな活躍し始めていますけど、もっともっと、若い子らが出てくると思うので、また、そういう後輩の活躍というのは自分のことのように思って見ていようかなと思います」

-中でも同じ大学の後輩佐藤輝は自主トレを共にするなど特に目をかけていた。期待することは

「輝(佐藤)ですか? 『もっと練習せい!』 ハッハッハ。そうですね、やっぱ、あっ、これくらいの音量がいいですか? (マイクから)離れすぎですか? そうですね。輝は大学の後輩でもありますし、同じ左バッター、同じ、体形も似てますね。だから、すごく気にかけては見ていました。これからもそうですけど。絶対に球界を代表するような選手に、絶対になってほしいと思いますし、そういうポテンシャルは持っていると思うので、これからも僕は見守っていきたいと思います」

-引退して一番何がしたい

「みんな『ゆっくりしたい』とかいうんですよね? そうですね、うーん。まあ、あんまりゆっくりするタイプじゃないんで、まあ、筋トレとか? 筋肥大! 筋肥大したいですね、もうちょっと」

-より一層、超人になる

「そうです。はい。パンプアップです」

-最近ではSNSでファンと交流。ファンが気になっていると思うが、今後野球界とはどうやって関わっていきたい

「いや、ずっと関わっていきたいですし、やっぱりこうやってSNSでファンの方々との距離感というのがすごく縮まったような気もしますし。そうですね、今後ともそういうのは、発信していきたいですし、タイガースのことだったり、野球に携わってはいきたいと思いますけど」

-多くの投手と対戦したが、わくわくした投手は

「わくわくしたピッチャーもいっぱいいますし、対戦したくないピッチャーもいっぱいいましたけど、やっぱり大谷翔平投手。ものすごかったです」

-また対戦したかったという思いは

「そうですね。あのー、サイン欲しいです(笑い)」

-どこがすごかった

「ストレートもそうですけど、変化球も。スライダーとか、三塁けん制したんかなと思うくらい、三塁方面からまた曲がってきましたね」

-印象に残る1本は

「印象に残ってる1本、たくさんあります。たくさんありますけど、やっぱり初めの1本というのは、すごく足も震えましたし、プロ野球の1歩目という。はい、1本目です」

-自身の引退でチームにはベテランがいなくなる。今後、チームを引っ張る存在として期待する選手は

「ベテランがいなくなるのはあまり関係ないと思うので。みんなしっかり自分を持って、チームのことを考えてやっていますし。大山選手だったり、近本選手も、引っ張っていける選手も育っているので。頑張っていってほしいです」

-首位打者、盗塁王、、ゴールデングラブ賞など走攻守に活躍したことは

「野手になった時、どういう選手になるか想像できませんでしたけど、全部活躍したいなとは思っていましたんで。走攻守で見せられるような(選手になりたいと思って)。多少は見せられたかなと思います」

-やりきったという言葉もあった。記録、数字で誇れるものは

「よおやったんちゃいます? 大卒での野手転向だったので。高卒の人はけっこういますけど、大卒っていうのも1つ、僕が転向するときに悩んだ点だったので。やっぱり出始めも遅いですし、その中で必死にやってこられたかなと。2000本というのは本当にすごい数字だなと、改めて思います」

-最後に糸井選手を19年間、応援し続けたファン、そしてタイガースファンへメッセージを

「はい。タイガースに来てファンの方には、本当に受け入れていただいて、僕としてもあの大声援の中で、本当に、できたというのは幸せですし、衝撃も受けました。本当に感謝しています。本当に19年間、ご声援ありがとうございました。これからはメガホンもって、一緒に甲子園で応援できればなと思います」