元西鉄(現西武)投手の池永正明(いけなが・まさあき)氏ががんのため死去したことが26日、分かった。76歳。山口県出身で、下関商高2年時には、エースとして、センバツ優勝に貢献。65年に西鉄に入団し、いきなり20勝を挙げて新人王を獲得。67年には23勝で最多勝に輝いた。

プロ6年目の70年までに、通算103勝を挙げたが、同年に八百長疑惑「黒い霧事件」で永久失格処分を受けた。現金100万円を預かったことは認めたが、八百長への関与を一貫して否定。90年代後半から支援団体や故稲尾和久氏ら西鉄OBらが復帰の嘆願書を提出し、05年に当時のプロ野球の根来泰周コミッショナーが、野球協約が改正されたことを受けて処分を解除した。当時、通知を受け「どうなることかと心配していたけど、ホッとしているというのが正直な気持ちです。なかなか連絡が来なかったので、少し胃が痛かった。喜びはこれから湧いてくると思う」と安堵(あんど)の表情を見せていた。

処分解除後は、西武やソフトバンクの試合で始球式を務め、プロ野球OBによるマスターズリーグ・福岡の監督に就任。社会人のクラブチームでも指揮を執った。福岡市内で飲食店も経営していた。

◆池永正明(いけなが・まさあき)1946年(昭21)8月18日、山口県生まれ。下関商2年の時に、センバツ高校野球大会にエースとして出場し、優勝。夏の甲子園でも準優勝を果たした。プロ野球各球団の争奪戦の末、65年、西鉄ライオンズに、契約金5000万円、年俸360万円(いずれも推定)で入団。いきなり20勝10敗で新人王を獲得した。67年23勝で最多勝投手となり「稲尾二世」と呼ばれた。実働5年強で通算103勝65敗、防御率2・36。

◆黒い霧事件 69年(昭44)10月、プロ野球選手の八百長事件関与の疑惑が浮上し、西鉄ライオンズの選手が関係していたことが発覚した。70年5月、コミッショナー委員会の諮問会で、敗退行為を誘われたものを含めて西鉄では池永投手ら4人が永久失格処分を受けた。他球団でもオートレースの八百長に絡み中日、東映の選手らが永久失格となった。スター選手と暴力団員との「黒い交際」が相次いで表面化。西鉄オーナー辞任など社会的事件に発展した。池永氏は現金100万円を預かったことは認めたが、八百長への関与は一貫して否定。90年代後半から西鉄OB会らが主導となって「復権会」が発足し、嘆願書提出や署名運動などの活動が行われたが復権は認められていなかった。

○…藤本監督は元西鉄(現西武)投手の池永正明さんの訃報に驚き、残念がった。マスターズ・リーグの福岡ドンタクズでともにプレーしたほか、自身が福岡市内で経営していた飲食店の常連だった。試合後に「解説者をしているときはゴルフとか、月に1回は必ず行っていた。店(飲食店)をやっているときも1週間に5回くらい来てくれていた。すごくかわいがってもらった大先輩です。びっくりしてるんですけどね。さみしいですよね」としみじみ語った。