なぜ今、再登板なのか。05年にチームをリーグ優勝に導いた岡田彰布氏が新監督に就任することが内定した。金本、矢野と続いた青年監督のイメージがガラリと変わる。正直言って、フレッシュさに欠けるという意見もあるだろう。評論家として阪神を間近で見てきたとはいえ、実に15年ぶりのタテジマ復帰である。そこには「名を捨てて実を取る」という球団の事情もあった。

そもそも球団は新監督像について金本、矢野体制を引き継ぐ「育成路線の継承」を明言していた。6月に行われた阪急阪神ホールディングスの株主総会では秦雅夫副社長(阪神電鉄社長)が次期監督を気にする株主に「生え抜きを中心にしたチーム作りをというご指摘は私も同感であります」と回答。阪神電鉄の取締役スポーツ・エンタテインメント事業本部長を務める球団の谷本修取締役オーナー代行も、その言葉に大きくうなずいた。

その言葉を裏付けるように球団は水面下で動いていた。元中日監督の落合博満氏ら外部招聘(しょうへい)の選択肢は早い段階で消え、虎を知る生え抜きの指導経験者に絞った。なかでも、フロントは平田勝男2軍監督を最有力候補として調整を進めていたとみられる。85年V戦士で1軍コーチや裏方を歴任。何よりも長きにわたって2軍監督として若虎の指導に当たってきた。矢野監督ともタッグを組み、直近の若手選手の状況も十分に把握している。「育成路線継承」の適任者だった。

ところが、チームが失速し、17年連続V逸が現実に近づいてきた8月ごろから風向きが変わる。阪神電鉄、阪神球団だけではなく阪急阪神ホールディングスからも「育成」だけではなく「勝てる監督」を切望する声が強まった。経験豊富で実績のある岡田氏に、「立て直し」を求める。その声は次第に大きくなった。

阪神では05年にリーグ優勝した岡田氏を最後に優勝監督が誕生していない。村上ファンドによる阪神電鉄買収劇に端を発した06年の阪急・阪神経営統合から、まだ1度もチャンピオンフラッグを手にしていない。グループ全体にいら立ちが漂っていたことも事実だろう。育成路線も堅持しつつも、何よりもチームを18年ぶり優勝に導いてくれる。それが岡田氏の15年ぶりタイガース復帰という選択だった。【阪神担当キャップ=桝井聡】