沖縄・石垣市の中山義隆市長(55)が28日朝、自身のSNSを更新し、同市出身でロッテなどでプレーし27日に現役引退を公表した大嶺祐太投手(34)をねぎらった。

SNSでは慰労の言葉をかけた上で「あなたが八島マリンズから始めた歩みは八重山の球史に燦然(さんぜん)と輝いています」とし「嘉弥真新也、平良海馬両投手にも大きな影響を与えたと思います。新たなステージでのご活躍をお祈り致します」と島出身の後輩にあたるソフトバンク嘉弥真、西武平良の名を挙げ、功績をたたえた。

大嶺は小学生時代、同市の八島マリンズで野球を始め、中学では八重山ポニーズでプレー。中学で全国大会優勝を経験し、米ペンシルベニア州での世界大会でも3位に輝いた。進学した石垣島内の八重山商工では甲子園に2度出場。最速151キロを誇る「南海の怪腕」として注目を浴び、プロ入りした。

中山市長は昨年、日刊スポーツの取材で甲子園出場当時について「八重山はもともと野球熱が高い地域なのですが、当時は本当に盛り上がりましたね。あの時の子どもたちがポニーズで世界大会3位になって、実力があるのは分かっていたので。甲子園にも実力で自分たちで行きましたので」と回想していた。

石垣島、西表島などからなる八重山諸島では、大嶺の小学生時代は約20の少年野球チームがあったものの、現在は半数以下に減っている。中学硬式の八重山ポニーズも平良(現西武)が退団後、部員不足で休部状態が続いていたが、昨年活動を再開。大嶺とバッテリーを組んでいた友利真二郎氏が監督を務め、八重山商工で監督として大嶺らを甲子園へ導いた伊志嶺吉盛氏も活動をバックアップしている。

中山市長も「少年野球から高校野球につなぐ意味で、硬式のポニーズが復活したのはこれから先に非常に期待が持てるかなと思ってます」と旋風再来に期待を寄せていた。27日にはSNSで「石垣島でキャンプをすることで野球少年、少女に夢を与えていただき感謝しています」とロッテ球団に感謝していた大嶺。思いは島に受け継がれている。【金子真仁】