新潟・佐渡島出身の巨人菊地大稀投手(23)が12日、前日11日に72歳で亡くなった村田兆治さんとの突然の別れを惜しんだ。中学3年の頃、村田さんの提唱した「離島甲子園」に出場した際に初対面。同大会出身で最初のプロ野球選手となった若き右腕にとって憧れの存在であり続けた。プロ入り後も交流を続け、10月に電話をしたばかり。志半ばでこの世を去った師匠の遺志を継ぐ覚悟を口にした。

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まだ心の整理がついていない表情だった。悲しい知らせは秋季キャンプ中の宮崎で、休養日の朝に知った。「信じられなかった。プロを目指すきっかけになって、夢をくれた人。すごく悲しい」と絞りだした。

桐蔭横浜大に進学するまで、電車に乗ったことすらなかった離島の新潟・佐渡島出身。プロ野球選手もいなかった。そんな中、夢を与えてくれたのが村田さんだった。対外試合の少ない離島の中学生のため「離島甲子園」の開催を推し進めてくれた。

今も心のど真ん中に刺さる言葉がある。「夢を諦めない」。「その言葉をずっと思ってきたからこそ、今こうして巨人の一員でやれてる。一生忘れないと思う」と感謝した。初めて会った時は中学3年だった野球少年が、離島甲子園出身、さらに佐渡島出身で初のプロ野球選手となった。

投球スタイルにも村田イズムが残る。最速154キロの直球と変化の大きいスライダーが学生時代から武器だった。昨年ドラフトの育成6位で入団。プロ入り直前に、村田さんの得意球だったフォークを教わり、奪三振が取れるパワーリリーフへと成長した。4月29日には支配下選手契約を勝ち取り、1軍で16試合に登板。「フォークがあるからスライダー、真っすぐが生きる」と感謝は尽きない。

プロ入り後も交流は続いた。打たれた翌日に電話で励ましてもらったこともあった。「80歳になっても島の子供たちに夢を与えていきたいと言っていた。それができなかったことは村田さん自身が悔しいと思う。それを自分が島の子たちに夢を与えられるようにしたい」と師匠の夢の続きを背負う。菊地は決して、諦めない。【小早川宗一郎】

◆菊地大稀(きくち・たいき)1999年(平11)6月2日生まれ、新潟県佐渡市出身。真野中では佐渡市選抜のメンバーとして離島甲子園に出場。佐渡-桐蔭横浜大を経て、21年育成ドラフト6位で巨人入団。4月29日に支配下登録され、同日阪神戦で1軍デビュー。今季は16試合で0勝2敗、防御率5・60。今季推定年俸420万円。186センチ、89キロ。右投げ左打ち。

◆離島甲子園 全国の離島中学生が一堂に会してトーナメントを行う軟式野球の大会。村田兆治氏が引退後に「全国の離島の子どもたちに夢と希望、勇気を持ってもらいたい」と野球教室を始めたのがきっかけで、08年に第1回大会を開催。毎年夏に全国の離島を巡って行われ、今年は3年ぶりに開催。23チームが新潟・佐渡で試合を行った。

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