日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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久々の“ふるさと”は居心地が良かったようだ。1985年(昭60)に阪神監督でリーグ優勝、日本一を遂げた吉田義男が甲子園を電撃訪問した。かつての本拠に足を踏み入れるのは4年ぶりだ。

血が騒いだ。春風が冷たい9日のヤクルトとの試合前、グラウンド手前にでジャンパーを脱ぎ、練習を見守る監督の岡田彰布のもとに「こけたらあきませんな」とさっさと歩み出す。

師弟関係にある2人は野球観においても認め合ってきた。岡田がオリックスから阪神に指導者で復帰するいきさつにも関わった。監督を辞任した際も、吉田は気に留めてきた。

打撃コーチの今岡から深々と頭を下げられるが、監督として阪神に引っ張った吉田だから「わかってるやろ」と言わんばかりにあえて素通りする。同じコーチの水口には「頼みまっせ」という心境だった。

佐藤に猛練習のススメを説きたかった。背番号8に「おれのことだれかわかるか?」とスキンシップ? 一塁大山、三塁佐藤の固定は「絶対間違っていません」と言い切った。

「同じサードの掛布は3人のノッカーを相手にノックを受けて泥だらけになった。岡田、平田もノックで育った。佐藤も打力を身につけるのに下半身を鍛えることです。でもちょっと時間がかかりそうやな」

岡田からは「(現役時代の)平田はノックで吐いてましたよね」と笑って合いの手。吉田は教え子のヘッド平田にも「当時の二遊間コンビ。岡田を支えてくれるはずです」と念を押す。

守備走塁コーチの馬場に「(佐藤に)千本ノックをお願いしたい気分です」とつぶやく。「ノックを受けると下半身を柔らかく使えるようになる。守備を鍛えるのは打撃に通じる」と自身の考えを示した。

“牛若丸”の異名をとった男は「内野のキーマン」という中野に「開幕戦の守備は光った。あれで流れを作った」とお褒めの言葉。「年をとってからのコンバートじゃない。若いから大丈夫」と太鼓判を押す。

近本をみながら「1年目のキャンプでスポーツ紙に“赤星2世”と書いてあるから『赤星でなく、福本2世を目指さなあかんぞ』と話したのを思い出した」と動きを見つめた。

代打の原口に出くわすと腰痛を発症した苦闘をつぶさに知る吉田は「川藤、真弓、八木、桧山と、甲子園では代打の神様は必要。今年の原口は特にいい」と分析する。

大山には「まだまだいけます。本来の力を発揮していません」と潜在能力を認める。坂本をさして「意外と坂本がいい。梅野との併用になるんと違いますか」と層の厚さを認めた。

「監督が1年でチームを完全に掌握するのは難しい。7、8、9回は思案中でしょうな。岡田がどうやってチームを束ねるか。巨人はしんどい。阪神とヤクルト。出てくるとしたらDeNAかな。阪神が中心のペナントレースになります」

タイガースの歴史で日本一監督が唯一というのも不思議だが、虎のレジェンドは愛弟子の“吉田越え”を願ってやまない。 (敬称略)