全国大会初出場の大阪公立大(近畿)は、ミスが響いて初戦敗退した。

1-1の4回に連続失策で2点を勝ち越された。大黒柱の正中(しょうなか)敦士投手(4年=小野)は尻上がりに調子を上げていたが、8回にソロ被弾したところで降板した。

制球には絶対的な自信を持っていた関西屈指の右腕だが、失点はともに四球が絡んだ。初めての大舞台はいつもと勝手が違った。

「緊張はなく、ずっとワクワクしていた。マウンドもそこまで硬くは感じなかったけど、ストライクゾーンと、低めに集められなかった。後半はある程度、力が出せたのですが、それを早くから出せていれば違った展開にあったと思う。悔いが残ります」

躍進の立役者にとって、待ち焦がれた全国大会だった。公立の進学校出身。3年夏の兵庫大会準決勝では明石商に延長10回サヨナラ負け。初戦から1人で投げ抜き、6試合目に力尽きた。9回に3点差を追いつかれた痛恨の思い出だ。

客席には、当時を知る恩師の北垣賢高監督(47)の姿もあった。「高校の時はあと少しで甲子園に行かせてあげられなかった。私立大学からも野球で声がかかっていたけど、自分が行きたかった大学に1年浪人して合格して、今、神宮で投げている。その姿を見られて本当にうれしいです。高校の時の悔しさを少しは晴らしたと思います」。教え子の晴れ姿に目を細めた。

正中は「全国に出られたのはよかったけど、出るだけでは意味がない。勝ちたかったです」と唇をかんだ。満足感よりも悔しさを残して神宮球場をあとにした。【柏原誠】