「フォークボールの神様」と呼ばれた元中日投手の杉下茂(すぎした・しげる)さんが間質性肺炎のため、今月12日、午後10時18分に東京都内の病院で死去していたことが16日、分かった。球団が発表した。97歳。通夜、葬儀は家族、葬儀は家族葬で執り行われた。亡くなる当日午前までは普段通りの生活をしていたが、午後になって体調に異常を訴え、病院に搬送された。

杉下さんは太平洋戦争で中国に出征。帰国後、明大を経て49年に中日に入団した。プロ2年目の50年から6年連続20勝を記録し、通算525試合で215勝123敗、防御率2・23。中日が初めてリーグ優勝した54年は、32勝をマークし最多勝を獲得したほか、防御率、勝率、奪三振がリーグ1位。完封数7も最多で「投手5冠王」に輝いている。西鉄とのシリーズでも3勝を挙げて日本一に貢献し、シーズン、シリーズの両方でMVPになった。自身3度目の沢村賞も受賞している。

学生時代に天知俊一氏の指導を受けて習得したフォークボールを、日本で初めて本格的に駆使して活躍したことから「フォークボールの神様」と呼ばれた。意外にもフォークを多投することはなかったが、その「魔球」には、ライバル巨人の主砲で“打撃の神様”川上哲治も「捕手が捕れない球を打てるはずがない」と言ったという。55年には国鉄戦でノーヒットノーランも達成している。

その後、中日、阪神で監督を務め、巨人、西武などでコーチも歴任。一線を離れてからも中日の臨時コーチなどで後進の指導にあたった。85年には野球殿堂入りも果たしている。

◆杉下茂(すぎした・しげる)1925年(大14)9月17日、東京都生まれ。帝京商-いすゞ自動車-明大専門部を経て49年中日入団。54年に32勝で球団初のリーグ優勝、日本一に貢献し、MVP、沢村賞、投手3冠。「フォークボールの神様」と呼ばれた。59、60年に中日監督を務めた後、61年大毎で現役復帰し同年引退。最多勝2度、最多奪三振2度、沢村賞3度。通算525試合、215勝123敗、防御率2・23。引退後は中日、阪神の監督、巨人、西武投手コーチなどを歴任。85年野球殿堂入り。右投げ右打ち。