日刊スポーツの名物編集委員・寺尾博和の特別インタビュー企画「寺尾が迫る」は、上方落語を上演する「神戸新開地・喜楽館」が開館5周年を迎える7月11日付で、支配人に正式就任する朝日放送(ABC)テレビのシニアアナウンサー・伊藤史隆氏(60)の登場です。“二刀流”の名物アナに、長年実況を続ける高校野球で、甲子園ベスト3の熱戦を挙げていただいた。2回連載でお届けします。

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寺尾 神戸大学在籍中は落語研究会に所属され、7月に神戸新開地・喜楽館の支配人に就任されます。それまでは見習いのようですが、お笑いとシニアアナウンサーとの“二刀流”はかなり異色です。

伊藤 今は知らないことばかりで楽しいです。コロナ禍で非常に厳しい状況が続きました。あまり伝統文化という点にとらわれすぎず、お客様の目線で寄席を作っていきたいですね。

寺尾 名物アナウンサーが寄席の経営者に転身した経緯を教えてください。

伊藤 ABCを60歳で定年になって、少し時間の余裕ができたら家内と旅行などしてゆったりしようと思っていました。そこに昨年6月ぐらいに寄席の企画などをする山本憲吾さん(喜楽館マネジャー)からお話をいただいたんです。

寺尾 すぐに答えを出したんですか。

伊藤 いえ。ものすごく迷いましたし、最初はお断りしていました。でも矢野燿大さん(前阪神監督)が選手に「自分のために頑張るのはもちろんだけど、自分のために頑張るのは限界があって、だれかのために頑張ろうと思ったら、その限界を超えて頑張れる」と話していたのを思い出しました。

寺尾 今までの専門職とは違った業界です。

伊藤 アナウンサーは周囲の方々に準備をしていただいて、その上に乗っかって仕事をします。でも企画・運営する側の仕事はほとんどしたことがない。残り少ない人生を後で振り返ったとき、これをやらなかったことを後悔したら取り返しがつかない気がしたんです。

寺尾 神戸新開地は芸能のメッカで、歓楽街としてにぎわった土地柄です。

伊藤 喜楽館を運営する「新開地まちづくりNPO」は、阪神・淡路大震災からの復興のために立ち上がった組織ですが、いまだに復興しきっていないのが現実です。大学時代に神戸で落語を覚えました。地震を挟んで新開地で続いた100年の芸能が右肩下がりになった。ぼくは落語が好きで、神戸の町ではなし家さんの背中を押すような仕事は自分の進む道かもと思ったのです。会社が取り組む地域創生の課題とも合致します。

寺尾 今回は名物アナウンサーが実況した甲子園ベストスリーの3試合を選んでいただきます。

伊藤 ぼくの高校野球ナンバーワンは、1998年の横浜対PL学園ですね。松坂大輔君が延長17回の末、250球を投げ抜いて9対7で勝利した一戦です。神港学園監督(当時)の北原光広さんとの実況でした。しかも松坂君が打たれたのはこの試合だけで、PL野球のレベルの高さにも感心しました。

寺尾 長野五輪、サッカーW杯が開催された年。事実上の決勝戦といわれた東西対決でした。

伊藤 高校野球を実況中継するときの心持ちは「興奮45」「冷静55」ぐらいのバランスがいいと思っているんです。良い試合、良いシーンになればなるほど自分だけが興奮しすぎて、ひとりよがりな中継になりがちなんです。お客様にこそ興奮していただくために、熱すぎず冷たすぎず、このバランスを心掛けています。とって、とられてのすごい試合で、ずっと松坂君がいて、PLも打てる手は全部打った。自分の中では計算しながらしゃべっていますが、スタンドが興奮してくる。基本的には冷静なはずの放送スタッフが終わった瞬間に全員立ち上がった。こんな試合は後にも先にもありません。

寺尾 1回戦の柳ケ浦、2回戦の鹿児島実、3回戦の星稜と3試合で計389球を投げた。試合後は横浜渡辺監督も泣きました。

伊藤 延長17回に常磐良太君が2ランを打つんですが、後で聞くと松坂君が疲労困憊(こんぱい)なんで、「おれが決めてくるから」と予告したらしいです。でも松坂君だけは周囲が盛り上がっても、あまり興奮の渦のなかに入っていないというか、でも冷め切っている感じでもない。結構打たれたので、すごく揺れていたと思いましたが、自分の世界に入っている感じがしました。そして京都成章との決勝ではノーヒットノーランを演じるんです。

寺尾 決勝はラジオ実況だったようですが、いわゆる“決めゼリフ”はあったのでしょうか。

伊藤 京都成章は1番沢井芳信君の三ゴロからずっと当たりがなく、これはいくなと思いました。横浜が勝てば春夏連覇ですが、記録を調べると決勝でのノーヒットノーランとなると、戦前までさかのぼって1939年(昭14)の海草中・嶋清一投手以来でした。ゲームセットの瞬間の第一声は「史上5校目の春夏連覇」か「嶋投手以来のノーヒットノーラン」のどちらを優先して言うかは意識しましたね。

寺尾 ぼくなら「嶋さん以来の快挙」を選択するかもしれません。

伊藤 いえ。最後は三振で決まるんですが、「横浜高校史上5校目の春夏連覇! 松坂大輔決勝1939年以来のノーヒットノーラン達成!」とやりました。なぜ? チームスポーツだからです。これは25年がたっても正解はわかりません。ただぼくの中でこの一戦はプロ野球を入れてもナンバーワンですね。(つづく)

〇…喜楽館では今月25日まで「プロ野球応援ウイーク」と銘打った公演を展開中で月亭八方、桂春蝶、桂吉弥らが出演。また、7月10日から16日までは「5周年特別公演」で笑福亭鶴瓶、月亭八光らが盛り上げる。