世界一からリーグ3連覇へ。昨年7月まで育成選手だったオリックス宇田川優希投手(24)は、約半年間で2度の頂点に輝いた。

2月。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)を戦う侍ジャパンの合宿に宇田川はいた。映像で見ていたあこがれの人が、目の前にいる。「初めて会った時はすごいオーラがあって、圧倒されました」。緊張の面持ちの宇田川に気さくに接してくれたのは、チームの兄貴分となったダルビッシュ有(37=パドレス)だった。

初めてしっかり話したのは、2月下旬。ダルビッシュのブルペン入りを他の投手が見に行く中、宇田川は、トレーニングルームにこもっていた。「みんな見に来てくれてたけど、宇田川君どうしたの?」。ダルビッシュは投げながら、宇田川がいないことに気づいていた。

減量トレーニング中で、そのメニューに取り組んでいたことを宇田川は説明。「そんな自分に厳しくなくていいから、自分に優しくていいよ」。初めてのチームにいる緊張感と自分のメニューに追われる日々。張り詰めていた心が解きほぐされた。「一番しんどい時に優しい言葉をかけてくださった。結構いっぱいいっぱいだった時。なんか、楽になりました」。

休養日には投手陣全員で焼き肉へ。ちょうどその頃、宇田川がなかなかチームに慣れないと悩む記事が出ていた。ダルビッシュは「あれは、どうしたの?」と笑い話に変えてくれた。食事会の後の記念撮影では「宇田川君、前出て」と真ん中へ促された。帰り道のタクシーの中。「お前すげえよ」。友人からの連絡で、ダルビッシュのツイッター上に「宇田川会」として投稿されていることを知った。

あこがれの人のさりげない優しさに助けられ、次第に溶け込んだ。欠かせない存在となり、最高の仲間とともに世界一を経験。あとはオリックスへ戻り、再び頂点を目指して腕を振るだけだった。

しかし、なかなか状態が上がりきらず、開幕から約3週間後の4月23日に出場選手登録を抹消。2軍戦でも打ち込まれるなど、苦しい時期が続いた。当初はダルビッシュへ連絡し、アドバイスをもらっていたが、宇田川は自ら連絡することを控えた。「僕も僕でこっちでやらなくちゃいけないことも多かったですし、ダルさんも同じようにあっちでやらなくちゃいけないことが多い。なるべくそういう質問とかはしないようにしようと」。“独り立ち”し、乗り越えると決めた。

6月13日に1軍復帰すると、そこから再び定着。7月ごろからは大事な場面での登板も増え、ここまで41試合の登板で4勝0敗、17ホールド2セーブ、防御率1・77。強力ブルペン陣の一角としてチームを支えた。

8月16日。宇田川は久しぶりにダルビッシュへメッセージを送った。「誕生日おめでとうございます」「ありがとう。調子どう?」「ぼちぼちです」。ともに戦ったWBCから時間がたっても、気に掛けてくれていることがうれしかった。

小学生の時にダルビッシュのかっこよさに目を奪われ、中学生の時にはフォームもピッチングも「全部かっこよくて」とあこがれた存在。ともに過ごした日々で学んだのは、一流の人が持つ謙虚さ。「あんなにすごい人なのに、誰にでも優しくて、すごいですよ。オーラとか一切出さずに常に謙虚で。常に自分も学ぶという意識もあって、練習もすごいなって思いました」。若手にアドバイスをくれるだけでなく、反対に「これはどうやって、なんの意図があるの?」と常に学ぼうと質問する。

強化試合前に200キロのウエートを上げていた宇田川を見て、ダルビッシュは「試合前だよ?」と驚愕(きょうがく)。「筋肉痛がないと力入んなくて」と説明すると「そうなんだ」と聞いてくれた。「そういうところが、やっぱりあの年になっても活躍し続けられるところなのかなって。納得というか、やっぱりすごいなって思いました」。

思い出すのは、世界一に輝いた夜。優勝会見も終わり一息ついた夜中の午前2、3時ごろ。チーム解散を前にしても、まだまだ選手たちは話したりなかった。「来る?」と気軽に誘ってくれたダルビッシュの部屋へ投手陣が集結。「印象に残ったシーンはどこ?」。ジュースを片手に、それぞれの思い出話に花を咲かせた。「ダルさんも『すごいさみしいな』みたいに言ってくれて。ダルさんもそういうふうに思ってくれるんだって、一緒にできたんだなって。うれしい気持ちになりました」。かけがえのない時間はあこがれの人も同じ。一瞬一瞬の経験が、宇田川が再び歓喜の瞬間へ腕を振る財産となった。【磯綾乃】