阪神にドラフト1位指名された下村海翔投手(21=九州国際大付)は、中学2年に上がる際、投手としての出場機会を求めて所属先を「宝塚ボーイズ」に変えた。チームを率いるのは奥村幸治監督(51)。かつてオリックスの打撃投手としてイチローの専属打撃投手を務め、宝塚ボーイズでは田中将大(楽天)らも育てた人物だ。地元の名門チームで、入団初日から厳しさを味わうことになった。

「大学生、高校生みたいな感じ。中学生なのにしっかりしてるというか。自立してる選手が多くて、同級生が年上に見えました」

練習から、選手主体で作られる緊張感のある空気。1度のミスでもマウンドに集合し、互いに指摘し合う厳しいムードが充満していた。活動は週5日。平日の火曜、水曜、金曜は学校が終わり次第、グラウンドに向かって午後7時ごろまで練習。土日も終日、野球に明け暮れる日々になった。

「初日から(監督に)怒られましたね。プレーの軽さと言うんですか。当時は1つのアウトに対する気持ちもたぶん、弱かった」

練習前、練習後にも「自分たちのグラウンドは自分たちで」と草引きやグラウンド整備なども入念に行う。長い時にはトータル約2時間に及んだ。野球に対する意識の高さを感じる中、入団時の決意を胸に食らいついた。

「やるからには、(高校で)強豪校に入れるようにという思いで移籍したので。必死でやっていました」

練習中にも手を抜くことはなかった。愚直に誠実に野球に向き合う時間になった。通知表などで、悪いコメントが書かれることはなかったという。宝塚ボーイズでの日々は「人間的に成長できた」と今も実感している。

「自分で考えて行動するということを、ひたすら教え込まれました。周りを見られるようになったというか。次はどういう動きをしたらいいかとか、プレー以外のところも考えてできるようになったと思います」

奥村監督も入団当初の下村を「覚悟があった」と振り返る。

「途中から来る選手には結構、僕は厳しめに言うんです。どちらかというと、宝塚ボーイズは厳しいチーム。覚悟がなく、やめてしまうのは良くない。厳しめに初日は指導したと思うんですけど、相当覚悟を持って来ていた。向上したいという気持ちが高かったですね」

その姿勢が認められ、指揮官からも「ピッチャーとして育ったら」と期待をかけられた。新天地で本格的に投手の道を歩み始めた。【波部俊之介】(つづく)

【連載第1回】父の言葉で「決断」