巨人ドラフト1位の中大・西舘勇陽投手(21)が世界的スーパースターの系譜を受け継ぐ。

ブルージェイズ菊池雄星投手(32)ドジャース大谷翔平投手(29)を輩出した花巻東(岩手)では1年夏からベンチ入りし、3度の甲子園に出場。中大では東都1部で通算51試合に登板し、12勝(10敗)を挙げてプロの扉をこじ開けた。ドラフト指名までの軌跡と目指す選手像を語った。【取材、構成=上田悠太】

   ◇   ◇   ◇

ドラフト指名から少し時間が経過した。つい1カ月前は、報道陣が大挙して押し寄せた。祝福ムードも合わさって西舘の周囲は騒々しい。人前で話す機会も増えたけど、慣れない。

「人見知りで…うまく話せないかもしれないですがよろしくお願いします」

高校時代は2人の“怪物”を生み出した花巻東で育った。憧れながら、白球を追った。07年夏、当時5歳だった。家のテレビには花巻東-新潟明訓の試合が映っていた。黒土のマウンドで快速球を投げ込む1年生左腕にくぎ付けになった。

菊池雄星だった。

4年後の11年夏は9歳だった。テレビの中の花巻東は帝京と戦っていた。今度は2年生の長身右腕にひかれた。当時2年生で、高校の最速タイ記録の150キロを投げ込んでいた。

大谷翔平だった。

「2人への憧れがありました。甲子園を目指す上で、一番近いのが花巻東だなと思っていましたし、ずっと自分も投手だったので、伸びる環境だと思って決めました」

中学時代から野球、クロスカントリースキー、陸上の“三刀流”でスポーツ万能だった。岩手・一戸中2年生で県選抜に選ばれた。あこがれに導かれて花巻東に進んだ。

「佐々木監督に練習中から雄星さん、大谷さんの取り組み、練習態度など、いろんなことを教えてもらいました。身近という言葉が正しいか分からないのですけど、練習の時から自然と意識はできました」

日常の中に2人の軌跡があった。入学当時、フルスクワットは40キロが精いっぱいだった。菊池は120キロを軽々と上げていたと聞かされた。

「ウエートの数値でも、自分には到底できないぐらいの重さを上げていたそうなんです。また『オーバーワークだからやめなさい』と言われても、雄星さんはトイレ裏のコンクリートのところで隠れて練習をしていたとも聞きました」

大谷のすごみもまた日常の光景から感じた。正門から見える校舎には「エンゼルス入団」の懸垂幕が掲出されていた。毎日、目にしながら登校した。

「野球場のセンターの奥にソフトボール場があるんですけど、そこまで打球を飛ばしていたと聞きました。飛距離だと150メートルぐらいですかね。やっぱり…すごいなと」

高校を卒業する時に、色紙に「4年後プロ ドラフト1位」としたためた。現実にした中大の4年間は道筋も思い描いていた。

「4年間は目標は忘れずにやってきました。高校生のドラフト1位とは違い、大学生はポテンシャルもそうですが、結果を出さなければ、注目されないと思っていました。チームのためはもちろんですが、まず絶対にゼロに抑えるぞと。同時に下級生の時は目に見える数字、球速を上げてポテンシャルを見せようと意識をしていました。実現できたことは、これからの自信にもなりますし、そこで終わっちゃいけないなというのもあります」

大学2年の春に150キロ、秋に151キロを計測。全球クイック投法に改良した3年春には155キロまで伸ばして注目の存在となった。

どんな選手になりたいか-。

「信頼されている選手は、大事な試合で使ってもらえる選手だと思う。大事な試合で自信を持ってマウンドに送ってもらえる選手になりたいです。今、自分がどのくらい通用するのかなというワクワクもあります。指名されてからプロに行くまでの時間って、結構あると思うんです。武器を1個、2個でも、もっと増やせればいいなと思います。シュート方向の小さく動くボールとかツーシームとかも覚えられたらなと思ってます」

背番号は菊池も大谷も背負った「17」を託された。西舘のプロ生活が始まろうとしている。

【関連記事】巨人ニュース一覧>>