オイシックスが新たに加わって開幕した今季のイースタン・リーグ。選手育成の現場で、奮闘している新潟県人がいる。ヤクルトの小林宏平2軍チーフアスレチックトレーナー(43、村上市出身、新発田農-日体大出)は、今季で球団在籍12年目。裏方としてチームを支える仕事について語った。【聞き手=斎藤慎一郎】

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-オイシックス-ヤクルト3連戦(5~7日、ハードオフ新潟ほか)で新潟を訪れた

小林氏 率直にうれしかったです。社会人になって、野球の試合で新潟に来たのは初めてなんです。イースタンの開幕戦、戸田でヤクルトとオイシックスが対戦したのも鳥肌が立つくらい感慨深かったです。

-今の仕事内容は

小林氏 アスレチックトレーナーは体のケアのほかにリハビリやエクササイズなど、少し広い範囲を扱います。選手の状態を各トレーナーから吸い上げて、首脳陣に報告するのも私の役割。この選手はトレーニングを重視しているのか、実戦を積んでいくのか。そこをコーチ陣とディスカッションもします。

-選手と接する上で意識していることは

小林氏 たとえば、1軍に上がるチャンスが来そうな時って、ケガがあっても隠す選手もいるんです。選手がここは真剣に向き合って正直に話さないと、と思うような関係性が重要です。(ヤクルト)小川淳司GMから聞いた「自分がその人にとって出会いの失敗にならないように」という言葉を大切にしているんです。ふざける時はふざけて、真面目に話す時は真面目に。普段から選手が胸の内を明かしやすい存在でいようと思っています。

-新発田農では98年に一塁手として春、夏連続甲子園に出場

小林氏 同期生の4番で主将が加藤健(元巨人捕手、現2軍バッテリーコーチ)、幼なじみの富樫(和大、元日本ハム投手)は当時プロ注目のエース。県内の全チームからエースで4番が集まってきた感じ。レベルは高いし、練習も上下関係も厳しくて、あ、オレは無理だなって(笑い)。

-トレーナーを目指すきっかけは

小林氏 高校2年生の夏までは投手だったんです。トレーニングは比較的自分で考えてできる雰囲気。本を読んで独自にメニューを作って取り組んでいるうちに、体の変化に気がついて、それが面白くなったんです。3年の夏の大会直前に左手首を骨折して、1回戦で和田毅(ソフトバンク)がエースの浜田(島根)に敗れた甲子園では、最後に守備についただけで終わりました。悔しかったし、そういう選手を支えられる仕事に就きたいと思いました。日体大に入学するときは、選手ではなく、裏方志望で野球部に入ったんです。

-新潟の野球界に期待することは

小林氏 野球界だけでなく、スポーツ界全体で、選手や子どもが育ちやすい環境をつくっていただきたいです。私もできることがあれば協力したい。オイシックスでは元ヤクルトの中山君(翔太、27)に頑張ってもらいたいです(笑い)。

◆小林宏平(こばやし・こうへい)1980年(昭55)9月9日生まれ、村上市(旧山北町)出身。大川谷中で野球を始める。新発田農では1年の秋からベンチ入り。日体大に進み、野球部に所属して学生トレーナーとして活動。卒業後、専門学校で学び、06年にトレーナー派遣のメジャー・トレーナーズに入社。日米大学野球選手権の日本代表チームのトレーナーなどを務めた。13年にヤクルトとアスレチックトレーナーとして契約。20年まで1軍トレーナーで、21年から2軍チーフアスレチックトレーナー。