日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
◇ ◇ ◇
アメリカの大リーグのゲームを実況するアナウンサーは太平洋を越え、昼夜が逆転する時差とは無関係で、ラジオを通じてこちらに語りかけた。
「日本のイマザト、この放送が聞こえるかい?」
それは久しぶりに聞いた名前だった。かつて大リーグ全球団のフリーパスをもつ唯一の日本人として「世界一の米国野球ファン」と称された。
大リーグ関係者から「ドクター・ジュン・イマザト」と呼ばれた人物は、兵庫県西脇市で歯科医の今里純(03年没)と言った。戦後間もない昭和から異国のベースボールに興味を示した。
毎日大リーグの戦況を聞くラジオの調子が悪くなると、漁船用受信機のアンテナを自宅に設置し、スコアブックを記入するほどの熱烈なファンだったという。
その米大リーグ通は、コミッショナーらと文通をするなど「アメリカン・リーグ」「ナショナル・リーグ」と常に連絡を取り合う間柄になっていく。そこで得た情報を日本球界に提供してきた。
今里は日本のプロ野球創設、日米交流に多大な貢献をした鈴木惣太郎(68年野球殿堂入り)の薫陶を受ける。肩書には固執しなかったが、コミッショナー事務局顧問の待遇を受け、歴代コミッショナーのサポートを続けた。
初代コミッショナー事務局長だった井原宏も、今里に絶大の信頼を寄せたようだ。今里が大リーグの野球協約、FA制度、労使協定など法規に関する文書を翻訳し、日本球界はそれを研究した。例えば「トレードと独禁法」の関連性などは、大リーグでも問題になったから、野球協約の解釈などのアドバイスをした。
大リーグを経験した村上雅則、95年に野茂英雄がドジャース移籍してから、今では日本人のメジャー移籍は後を絶たないが、当時は遠い国だった。
吉田義男、村山実、王貞治、野村克也、山内一弘、鈴木啓示らと懇意にした今里は、未知の世界だった大リーグ組織、技術論までを、有数のプロ野球選手たちに伝えた。
また阪神球団顧問として、初の海外キャンプ、デトロイト・タイガースとの「共同宣言」の締結にも貢献する。今里が亡くなった9年後の12年に地元の西脇市で「今里純野球展」が開かれた。
深い付き合いだった阪神初代日本一監督の吉田は「世の中に大リーグ通は多いが、パンチョ伊東(元パ・リーグ広報部長)も今里先生には一目置いた。最高の方でした」ともらした。
大リーグの年間記録ノートは41冊、ハンク・アーロンのメッセージ入りサインバット、黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンのサインボールなど、残した資料は3000点以上という。
今里の新聞記事、雑誌、スコアブックなどは、今も「米野球殿堂博物館」に保存されている。まさに日米野球の“架け橋”になった存在だった。
その今里の評伝書籍「ベースボールと野球をつないだ男 Dr.Imazato/今里純 知られざる戦後・日米野球交流の物語」(発行=ヘソノオ・パブリッシング、竹本武志著)が出版されている。
その本には、WBC会長ジム・スモールもメッセージを寄せた。著者の竹本は長きにわたって取材をし、今年もクーパーズタウンを訪れるなど“野球の旅”を続けた。読書の秋にふさわしい一冊に出会った。【寺尾博和】(敬称略)



