阪神から日本ハムへのトレードが決まった島本浩也投手(32)は、高校時代に2度の甲子園出場機会が奪われた。
福知山成美(京都)の2年時、09年夏は決勝で登板し、準優勝。同年秋、近畿8強に進出し、エースとしてチームをけん引していた。
しかし翌年2月。部員の不祥事で、高野連から6か月間の対外試合禁止処分を受け、3年夏まで公式戦を行えないまま高校野球生活に幕を下ろした。
「今思えば-」。困難の連続だった高校時代。恩師の一声が阪神でプレーした15年間への「正解」につながった。「さすがに2年に引退していて、ドラフトにかかると思っていないです。たまたま、阪神にとってもらえました」。同期10人に満たない練習でシートノックの投手として腕を振り続けた。「友達と会うと今でもその話をします。不祥事がなければ、どうなっていたかなと…」。
新聞や雑誌で目にする「プロ注目選手」欄に自分の名前が載っていることがうれしかった。だが、家族を安心させようと大学では寮生活ではなく、実家から通える特待生制度のある関西圏の進学先を探していた。
当時は最速140キロに迫る直球とスライダーが武器の左腕。阪神から育成指名を受けた後、「『(監督に)やめておきます』と伝えました」。当時の田所孝二監督(65=現岐阜第一監督)は、その意見に猛反対。「何言っとんねん。性格的に絶対プロが向いている」と恩師に押される形でプロ入りを決断した。
甲子園が近くて遠かった、高校3年間。1年夏は先輩たちが出場。2年夏は主力としてあと1歩。3年春以降は公式戦さえ行えず。 10年秋の阪神育成ドラフト2位入団を経て、15年間在籍。1軍公式戦で通算204試合に登板し、本拠地の甲子園では82試合で投げた。「今思えば(高校で)甲子園に行けなかったけど、結果的に阪神に入れて、夢をかなえられた。阪神に選んでいただいたのも、何か縁があったのかもしれないです。育成で行ったことも、正解だったと思います」。
今秋、リハビリ組の選手とジョギングをするなど、同僚思いの島本。若き日の葛藤を乗り越え、今がある。新天地で迎えるプロ生活は来季16年目だ。【中島麗】



