<横浜4-8阪神>◇18日◇横浜

 鉄人が自ら断を下した。右肩痛に苦しむ阪神金本知憲外野手(42)が18日の横浜戦(横浜)で、先発から外れた。99年7月21日から10年以上続けてきた世界記録の連続フルイニング出場は、1492試合で途絶えた。試合前ブルペンにこもり、ガチガチにテーピングで固められた右腕で懸命にスローイングの練習を行ったが「投手に迷惑を掛ける」と判断。出場を促す周囲を押し切り「勝利優先」の美学を貫いた。

 その場に居合わせた多くのファンが、耳を疑ったに違いない。「4番サード新井」。試合前の先発メンバー発表に、金本の名前がない。大きなどよめきが球場を包み込んだ。最後まで金本の名前はアナウンスされなかった。

 ついに訪れたベンチスタート。10年以上、1万3686イニング、グラウンドに立ち続けた。時間にして4884時間14分の大記録に、金本自らがピリオドを打った瞬間だった。1500試合出場まで、わずか8。ほんの少し、わがままを言えば達成できた。それでも鉄人と呼ばれた男は、淡々と振り返った。

 金本

 最後まで監督、ヘッド(木戸ヘッドコーチ)は(試合に)出ろや、出てくれという感じだった。でもこれ以上出てもチームに迷惑を掛けるし、特に投手に、あのスローイングじゃ迷惑を掛けている。勝つための手段として、僕は外れるということを(首脳陣に)伝えました。

 骨折しても片手でヒットを打った男だ。最後の最後まで先発出場の道を探った。午前11時過ぎに球場入りし、試合前練習中に3度、真弓監督を含めた首脳陣やトレーナーらと右肩の状態を確認。何とかいける--。そう信じて、打撃練習後にはブルペンに足を運び、木戸ヘッドコーチらが見守る中、20分以上もキャッチボールを行った。

 3月のオープン戦でノック中に味方選手と接触した。実は、球団関係者が「完全に治すには手術が必要なレベル」と言うほどの重症だった。痛みがひどい時は右肩を上げられず、洋服を着ることすら苦労した。その影響で打率も1割台、打撃30傑の最下位。痛み止めが効かない時は、座薬を入れてまでプレーした。それでも、決して故障のせいにはしなかった。

 金本

 最後の悪あがきでテーピングしてみたけど、ダメだったからそこでね。ブルペンで(先発落ちの決断を)した。監督も最後まで粘って出てくれやという感じだった。その気持ちはすごくありがたかった。

 ブルペンに向かう前にはトレーナー室にこもり、右肩に可能な限りのテーピングを施した。最善の努力を尽くしたがダメだった。投げられない。痛みというより、チームを思う気持ちが自らの大記録をストップさせた。ブルペンを出て監督室へ直行。出場を促す周囲を押し切り、先発落ちを直訴した。勝利を第一に考える金本らしい「引き際」だった。

 8回に代打出場。二ゴロに終わったが、この日一番の歓声を浴びたのは、チームが勝利を収めた瞬間ではない。紛れもなく、この男に送られたものだった。過去2年は左ひざ手術の影響で思い通りのトレーニングを積めなかったが、今年は懸命に下半身強化に時間を割いた。「今年は準備する時間があった。1年を戦う上で(体力の)貯金はできた。万全の状態で臨める」。自らに最も期待したシーズンだった分も、悔しさは大きいはずだが、最後まで表面には出さなかった。

 昨年7月の球宴中。ベンチ裏で中日落合監督から「休養」しながらのシーズン出場を勧められた。ただ、居合わせた真弓監督から「代替選手」がいないことを理由に頭を下げられ、金本も当然のように試合に出続けた。あれから約9カ月。突然として記録は止まったが、金本の歩んできた“道”は、誰も足を踏み入れられない金字塔となって、今後も輝き続けるに違いない。【石田泰隆】

 [2010年4月19日11時9分

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