中日がドラフト2位吉川大幾内野手(18=PL学園)に背番号「3」を用意していることが11日、分かった。最終決定は13日の入団発表時となるが、昨季限りで引退し、ミスター・ドラゴンズと呼ばれた立浪和義氏(41=野球解説者)の代名詞でもある番号を、同じPL学園出身の遊撃手で「立浪2世」と言われる吉川が受け継ぐことになりそうだ。

 期待の新人に大きな“プレゼント”が用意されていた。88年から09年までの22年間、主力として活躍し続けた立浪氏の代名詞ともいうべき背番号「3」を吉川に託す。あくまで最終決定は13日の入団発表の時となるが、球団内での意見調整は終わっているという。

 23年の時を超えた背番号「3」の禅譲-。立浪氏と吉川には不思議な因縁がある。立浪氏は87年のドラフト1位で入団。甲子園で春夏連覇を成し遂げたPL学園の主将にして、遊撃手という大型新人は自らの希望で3番を選んだ。1年目からレギュラーをつかむと、それから常にチームの中心として活躍し続けた。いつしか、ミスター・ドラゴンズと呼ばれるようになり「背番号3」はその象徴となった。

 一方、吉川も名門PL学園で1年秋からポジションをつかむと、2年春夏と甲子園に出場して活躍。3年からは遊撃手に転向し、2年秋から主将も務めた。堅守、俊足、巧打のプレースタイルも含めて立浪氏との共通点は非常に多い。

 09年シーズン、立浪氏がファンの盛大な支持を集めながら現役を退いた後、背番号「3」は森野が引き継ぐことが発表されたが、本人が辞退して今季は球団預かりの欠番となっていた。そして、立浪氏の引退から1年後、くしくも同じPL学園の内野手として指名されたのが吉川だ。

 「いつか背番号3をつけられるような選手になりたい」。指名された直後、吉川はこう話した。大先輩の立浪氏を尊敬しており、11月21日に名古屋市内でテレビ番組に出演した際には、直接指導を受けて感激した。球団側も両者の因縁や希望を含めて背番号「3」を用意したとみられる。

 この日、名古屋市内のホテルでユニホームの採寸などを行った吉川は、背番号について「まだ、わかりません」と話した。このまま正式決定されれば、袖を通すのは13日の入団発表。球団史に輝く背番号「3」が吉川への期待を大きくさせる。

 [2010年12月12日10時33分

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