メジャーから持ち帰ってきたのはフォア・ザ・チームの「眼力」だった。楽天の沖縄・久米島キャンプ最終クール初日の15日、岩村明憲内野手(32)が白組の「4番三塁」で初めて出場した。1回1死一、二塁の第1打席、紅組先発田中将大投手(22)に対し1度もバットを出さず四球で出塁。つなぎ役に徹し楠城祐介外野手(27)の先制打を呼び込んだ。同じく初出場した松井稼頭央内野手(35)も1安打の滑り出し。星野楽天の千両役者がいよいよそろってきた。

 4年ぶり日本復帰の初打席は「プロに入って初めての」4番打者で迎えていた。1回1死一、二塁の好機。岩村は「100%、いや120で打ちにいくつもりで」打席に立った。しかもマウンドには田中。申し分ない舞台が整っていた。だが背番号1は1度もバットを振ることなく、フルカウントから四球で歩いた。

 外角の攻防は実に見ごたえがあった。身内同士の紅白戦である上、岩村、田中はチームの看板。互いに調整の一環である以上、内角は必要なかった。だが田中がベース半個の出し入れで抑えにかかる。1ボールからの2球目。ボールゾーンから外角いっぱいへのスライダー。通称「バックドア」と呼ばれる、打者から最も遠いボールでカウントを稼いでくる。4球目もバックドア。ボール。5球目はこの日最速148キロ。フルカウントになった。最後は滑り落ちるツーシーム。ここで初めて打ちにいったが、バットは寸前で止まった。

 岩村

 変化球がすごく切れていたが、グッと我慢して見ることができた。打線として考えた時、チャンスを広げることが役目。脇役は、アメリカで学んできたことです。4番は少しくすぐったかったけど関係ない。4番目に打っただけ。

 田淵ヘッドは試合後、この四球を例に挙げ「あれがウチの攻撃」と評した。己を殺す自己犠牲を徹底し、レイズを初のワールドシリーズまで導いた男。楽天に還元してくれればチームは変わる。【宮下敬至】

 [2011年2月16日9時7分

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