来年1月30日に後楽園ホールでデビュー40周年記念大会を開催する越中詩郎(2018年11月6日撮影)
来年1月30日に後楽園ホールでデビュー40周年記念大会を開催する越中詩郎(2018年11月6日撮影)

越中詩郎(60)が元気だ。最近、レジェンドプロレス、マスターズ、さらにはさざまな団体でよく見かけるなと思っていたら、デビュー40周年記念大会を、来年1月30日に後楽園ホールで開催するという。還暦を迎えても、越中の人気は衰えを知らない。「SAMURAI」の入場曲が流れると、観客は熱狂し、ヒップアタックに沸く。何よりも、若い世代のレスラーと対戦してもひけをとらない動きに驚かされる。

越中のプロレス人生は「ヒップアタック」とともにある。その起源は、入門から約7年を過ごした全日本プロレス時代にあった。「全日本でジュニアのトーナメントがあって、1回戦で優勝候補大本命のチャボ・ゲレロと当たったんだ。こいつを驚かせてやろうと、当時ゲレロが使っていたヒップアタックをやってみたのが始まり。その試合はボコボコにやられたけどね」。

それからヒップアタックを使うようになった、得意技ではなかった。本格的に使うようになったのは、85年に移籍した新日本プロレス時代だ。「長州力や高田延彦と試合をやるようになって、やつらに『ヒップアタックなんか効かない』ってばかにされたんだ。じゃあ、10発でも20発でもやってやるって」。越中は、相手に効くまで反発もヒップアタックを繰り出すようになった。ヒップバット、ダイビングヒップアタック、ミサイルヒップアタック。あらゆる場面を考え、バリエーションを増やしたことで、相手にダメージを与える効果的な技になった。

「まさか、自分の代名詞になるとは夢にも思っていなかった」と越中は振り返る。デビュー40年で、ヘビー級のシングル王座は1つも取ったことがないが、多くの王者と熱戦を演じた名脇役として、越中の存在は大きい。おしりで相手を攻撃するという、コミカルな技も、相手の攻撃を真っ向から受け止め、やられてもやられても立ち向かっていく越中が使うことで、説得力を持つようになった。ファンはヒップアタックに越中のプロレス人生をダブらせ、大きな声援を送る。

越中は現在も毎日ランニングを欠かさない。「走るときは1日10キロは走るね。『おい、走るぞ』って猪木さんについて、道場(世田谷区上野毛)から府中まで走ったこともある。若い頃の厳しい練習のおかげで、今の自分がある」と話す。94年に反選手会同盟の流れで立ち上げた平成維震軍が、ヒップアタックとともに、越中の代名詞だ。維震軍の「震」は「プロレス界を震撼(しんかん)させる」の意味だそうだ。来年は、元号が平成から変わるが、越中は「年号が変わろうが何しようが、平成維震軍は変わらない。来年は新しいメンバーを加えて、またプロレス界を震撼(しんかん)させていきたい」と決意を語った。【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)

永田裕志にヒップアタックを決める越中詩郎(2007年05月02日)
永田裕志にヒップアタックを決める越中詩郎(2007年05月02日)