春場所13日目。三段目の取組でアクシデントは起こった。響龍(28=境川)が相手の投げに、頭から激しく俵に落ちた。あおむけのまま動かず土俵に緊張が走る。土俵上で心配そうに容体をうかがう審判の親方衆から「動かさないで!」の声が飛ぶ。控室で見ていた部屋付きで元大関豪栄道の武隈親方も慌てて駆けつけた。医師が到着しても反応はなし。倒れてから6分後、ようやく担架に乗せられて土俵から下り、その後、救急搬送された。

ちょうど当番で、花道から土俵の進行を見守っていた若者頭の伊予桜さん(高砂)も、土俵溜(だまり)に駆け寄った1人だ。行司、呼出といった表舞台には立たないが、土俵を進行させる上で影武者のような、欠かせぬ存在の若者頭。土俵に上がり、医師の了解を得た上で担架に乗せ、響龍を花道から通路に運んだ。

無駄な動きは一切なく、動揺するそぶりもない。本場所の土俵でケガなどアクシデントはつきもの。慣れているといえばそれまでだが、感情を差し挟めばその後の進行に支障を来す。救急搬送までを無駄なく務めた。何があっても、土俵は進行させなければならない-。そんな使命からだろう。アクシデントがあったことを各所に伝えながら、この日も無事、興行は終わった。その6日前に60歳の還暦を迎えても、相撲に対する熱意、陰で支えようという気持ちに衰えなどない。

多くの一般企業などと違い(最近は引き上げる傾向にあるが)、日本相撲協会の定年は65歳。だからだろう、節目を迎えても「ピンと来ないね。年齢が60になったというだけで、仕事自体も役割もポジションも何も変わらないしね」と特別な感慨はない。職人かたぎと言えばいいだろうか。「その日、その日で、与えられた仕事を淡々とこなすだけだからさ」。受話器の向こうで、笑いも交えた野太い声が聞こえた。

伊予桜さんが還暦を迎えた春場所7日目の3月20日。若者頭の控室に、39歳の“青年師匠”高砂親方(元関脇朝赤龍)がやってきた。「本当だったら、みんなでお祝いの食事会でもしたかったんですが」。身に染みる、その言葉とともに部屋の親方や大関朝乃山からの、お祝い金を贈られた。若い衆からは特大の高級バスタオル。受け取ると伊予桜さんは仕事の合間を縫い、お礼のために高砂部屋所属の行司や呼出が待機する控室を回った。「幸せだよ、俺の人生はさ。こうやって相撲界で生きていられる。ありがたいことだよね」。33年前の誓いに間違いはなかった。

76年春場所で初土俵を踏んだ伊予桜さんは、8年半後の84年九州場所で念願の関取の座を射止めた。ただ、その場所は負け越し、1場所で幕下に陥落。関取復帰を目指していた、27歳を迎えようという88年春場所。高砂一門の若者頭が定年を迎えるにあたり、後任探しが一門内であった。おはちが回ってきたのが伊予桜さん。だが、まだ27歳でケガもなく現役は続けられる。「もう1回、十両に戻りたいという気持ちもあったし、やめるにしてもせめて30歳ぐらいまではと思っていたしね。高砂部屋の高見山さんや富士桜さんとか40になっても現役の人が目の前にいたこともあるし、遠慮しようかなと」。さらに「この世界しか知らないから他の世界も見てみたいという気持ちと、相撲界に残りたいという気持ちが半々だったな」と振り返る。考え抜いた末、最後は「この世界で頑張ろうと、決めたんだ」。45年の角界人生、ここまで悔いはない。

高砂一門では4人の、そうそうたる横綱にかかわってきた。千代の富士(故人、元九重親方=九重)、北勝海(現八角理事長=九重)、外国出身初の横綱の曙(東関)、そして朝青龍。「4人もの横綱の綱を作ったり、目の前で土俵入りを手伝ったり、本当に幸せだった」と懐かしむ。中でも朝青龍は、それまでの一門内ではあるが部屋が別の3人とは違い、高砂部屋の横綱誕生。「やっぱり部屋から横綱が出たのは、俺にとって最高の出来事だったかな。綱を作る時は本当に、うれしかった」と、その後の顚末(てんまつ)は別としても、大切な思い出として胸にしまっている。5年後に迎える定年までに、部屋からもう1人、横綱が誕生すればこれ以上の幸せはない。朝乃山へ期待する気持ちも胸に納めている。

コロナ禍で、埼玉県内にある自宅と両国国技館を往復する本場所以外は、自粛生活が続く。もう1年になり、緊急事態宣言の効果も薄れ、再び感染拡大は第4波を迎えているともいわれる。ただ、1人前になる十両に上がるまで数年を要し、その昇進確率も低い角界は「我慢」の2文字には耐えられる。「力士もみんなストレスがたまって大変だと思うけど、本場所中は感染者が出ない。世の中に比べれば、すごいと思うよ。いい意味の縦社会というか、みんなで『こうしよう』と決めたら、従順に我慢できるからね」。

愛媛県出身の伊予桜さん。花の色が時期ごとに変化することから「伊予桜」(山アジサイ)の花言葉は「移り気」「浮気」…。いや、名前に偽りあり! 角界を支える気概に、いささかの揺れもない。テレビ画面には映らない、こんな裏方さんたちにも支えられ角界は生き続ける。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)