勝ってナンボの相撲界で、連敗記録を更新し続けている力士がいる。序ノ口の勝南桜(22=式秀)だ。15年秋場所で初土俵を踏み、積み上げた白星はわずか3つ。19年初場所で3つ目の白星を挙げて以降は連敗が止まらず、5月の夏場所ではついに97連敗を喫してしまった。いまだ見えぬ、長い長いトンネルの出口。苦しむ弟子の現状をどう見ているのか。師匠の式秀親方(元前頭北桜)に聞いた。

話は入門時にさかのぼる。15年4月。勝南桜が突然、茨城・龍ケ崎市に構える式秀部屋を訪れてきたという。式秀親方は当時のことについて「本人が突然来て『力士になりたいです』と言ってきたんです。1人で。驚きました」と振り返る。いきなりの出来事に驚いた式秀親方はまず、両親の許可を得たのかを確認。「力士になりたいとは知っているけど、今日部屋に行くとは…」。その言葉を聞き、すぐに両親に電話連絡。驚く両親の様子から、その日はすぐに帰宅させた。滞在時間は30分少々だった。

同年の名古屋場所を終えて、茨城の部屋に戻ってきた8月、母と一緒に稽古見学に来た少年がいた。母が「この子がどうしても力士になりたいと言うんです」。よく見ると、4カ月前に1人で部屋を訪れてきた勝南桜だった。「会話をしているうちに思い出しました。まさかまた来るとは、という感じだった」。

弟子が増えるのはうれしいことだったが、気がかりがあった。当時の勝南桜は身長こそ180センチ近くあったが、体重は70キロ程度。体の線が細く、相撲未経験。「正直、無理かなと思った」というが「稽古もきついし大きい力士にぶっ飛ばされるぞ。それでもいいのか」と問うと「頑張ります」。覚悟を聞いて入門を許した。

しかし、厳しい現実が待っていた。序ノ口デビューの15年九州場所から3場所連続で白星が出ず。16年夏場所でようやく初白星を挙げたが、そこから連敗が続いた。18年名古屋場所で自身2個目の白星を挙げるまで続いた連敗は89。当時の歴代最多連敗記録となってしまった。その3場所後の19年初場所で3個目の白星を挙げたが、再び連敗が続いた。自身が持っていた歴代記録を更新し、5月の夏場所ではついに、大台目前となる97連敗を喫してしまった。

決して、勝南桜にやる気がないわけではない。式秀親方は「確かにこんなに連敗して弱い力士ではある」と実力不足を認めつつも、成長を感じている。「例えばですけど、入門した時は腕立て伏せを1回もできなかった。それが今では20回を1セットにしたものを5セットはできる。四股も踏めなかったのが、20キロの重りを持って踏めるようになった。少しずつだけで成長してはいます」。

部屋での申し合い稽古では、“白星”を挙げているという。「これも弱い力士だけど、うちには沢勇という力士がいるのだけど、これには5割から8割ぐらいで勝てている」という。沢勇は92年名古屋場所初土俵で44歳の大ベテラン。最高位は序二段で通算成績は375勝722敗24休。直近では、春場所と夏場所で2勝ずつ挙げている。勝南桜から見れば、格上の兄弟子。その兄弟子に稽古場で勝っている。

では、なぜ本場所で勝てないのか。式秀親方は「入門当初に立ち合い頭から当たって首を痛めた。それから立ち合いで頭からつっこめなくなってしまった」と話す。また「それと連敗記録がトラウマになってしまっている。本来の力が出れば、本場所でも1、2勝はできる。右四つの形を持っている。右を差して左上手を取れば寄り切っていけると思う。ただ、立ち合いだけが今はまだ…」と弟子の気持ちを代弁した。

これだけ連敗が続いても、師弟ともに下を向いてはいない。ここ最近も「ここでやめたら負けだぞ。諦めずにやればきっといつか白星はついてくる。それを信じてやっていこう」と声を掛け、それに勝南桜も応えたという。稽古場には一番最初に姿を現し、ちゃんこは最後まで残って食べているという。体重も入門当初から約20キロ増の90キロ。式秀親方は「本人はしっかりやる気を持っている。いつかその日が来ることを私も信じている。名古屋場所でもダメだったら秋場所でこそ、という気持ち。絶対に諦めさせたくない」と切に願っている。【佐々木隆史】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)