ボクシングのWBC世界ミドル級4位村田諒太(30=帝拳)が23日(日本時間24日)、本場の米ラスベガスでプロ第11戦のリングに立つ。日本人48年ぶりの金メダルを獲得したロンドン五輪から4年。8月にはプロデビューから3年を迎える。カウントダウンが進む世界挑戦に向けたアピールが求められる一戦を前に、背負い続けてきた金メダリストとしての苦悩や現在の思いなどを語った。

 デビュー当時のことを振り返った村田の口から出てきたのは、意外な言葉だった。10戦全勝(7KO)。順調なキャリアのように見えるが、金メダリストゆえの苦悩と闘い続けてきた。

 村田 注目されるのは素直にうれしかったが、当時は自分自身に勝負できる土台がなかった。それなのに、話題ばかりが先行していく。そのギャップに気づき、迷った。てんぐになっていた部分もあったし、「村田諒太」を演じている感覚さえあった。「俺が主役だ」と言ってみたり。本当に強ければ演じる必要ない。弱い犬ほどほえるじゃないが、完全な悪循環だった。

 デビュー戦で東洋太平洋ミドル級王者を一方的な2回TKOで下し、4戦連続KO勝利と快進撃を続けた。だが、5、6戦目は判定決着。会場ではブーイングも浴びた。

 村田 (15年5月の)7戦目までは、すべてがぐちゃぐちゃだった。プロでの戦いを意識しすぎて、あれやこれやと手を付けすぎた。何をするのも中途半端。あのころはボクシングが楽しくなかったし、やめたいと思ったこともあった。

 金メダリストにファンが期待するのは「いつ世界戦をするのか」の一点ともいえる。現在の3団体統一王者ゴロフキンでさえも初挑戦に19戦を要した激戦階級。理想と現実の隙間を埋めるのは簡単ではなかった。

 村田 ミドル級だから、分かってほしいという思いも正直あったが、結局そこは自分ではどうにも出来ない部分。そういう声が気にならないようにするためにも、信じられるスタイルを作り上げることに集中しようと、考え方を変えた。

 初の米国進出となった15年11月のプロ第8戦。KOこそ逃したが、試合に向けた練習で大きな手応えをつかんだ。特別なことがあったわけではない。もがき続けた先に、進むべき道を見つけた。

 村田 行き着いたのは、平均点で勝負するんじゃない、突出した部分で戦っていくんだということ。ブロックを固めて前にプレッシャーをかける。最後は右ストレート。その3つが僕のストロングポイント。ボクシングが良い状態になってきて、今はやっとポジションと実力がマッチしてきた。落ち着いて、穏やかに物事を捉えられている。

 世界ランクも4団体で1桁に入り、世界挑戦に向けた重要な局面に入った。「未来」を語る村田の言葉には、静かな中にもギラギラとした熱がこもった。

 村田 仮に、3~4戦目で世界戦をやっていたとしたら、確実に負けていた。イチローさんが「遠回りすることが近道」と話しているのを聞いて、その通りだと思った。行ったり来たり。今こうして、良いキャリアを歩めていると思えるのは、つらかった過去を肯定できているから。ここから先はすべて結果論。最終的にチャンピオンベルトが取れるかどうか。すごくシンプルだし、迷いはない。

 再び巡ってきた五輪イヤーを「勝負の年」と位置付けた。金メダリストならではの苦しみも経験した。だが、そのプライドこそが、戦い続ける原動力であることに変わりはない。

 村田 金メダリストが世界王者になれなければ、五輪が下になってしまう。プロ転向のころからそう言ってきたし、今もその思いは変わらない。アマがプロより下に見られるのは嫌。自分の言葉には、責任を取らなければいけない。

 陣営はWBOミドル級王者サンダース(英国)を標的に、早ければ年内の世界挑戦も視野に入れる。

 村田 早く挑戦したいのが本音だが、声がかかるのを待つしかない。焦ってもしょうがないけど、ぼんやりともしていられない。いつでも英国に乗り込んで、ぶん殴ってやるんだという心構えは出来ている。【取材、構成=奥山将志】

 ◆激戦のミドル級(リミット72・5キロ) 欧米を中心に競技人口が多い激戦階級の1つ。世界王座挑戦は簡単ではなく、初挑戦は、WBAスーパー王者ゴロフキンが19戦目、北京五輪出場経験のあるIBF王者のサンダースが23戦目、WBA王者ジェイコブスは29戦目。人気も高く、世界戦のファイトマネーは軽量級の数倍から数十倍。ゴロフキンは直近の試合で200万ドル(約2億1000万円)を手にしたとされる。