プレーバック日刊スポーツ! 過去の3月4日付紙面を振り返ります。1996年の1面(東京版)ではボクシング辰吉丈一郎の世界戦を報じています。

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<ボクシング:WBC世界Jr.フェザー級タイトル戦>◇1995年3月3日◇横浜アリーナ◇観衆1万7000人

 壮絶な流血戦の末、辰吉丈一郎(25=大阪帝拳)が散った。王者ダニエル・サラゴサ(38=メキシコ)に1回、左ストレートを浴びせられてペースを乱し、終始老かいなテクニックにほんろうされた。辰吉は両まぶたを切り、11回、サラゴサに連打を浴びたところで出血がひどくなり、3回目のドクターチェックでストップ。11回2分47秒、TKOで2階級制覇の夢が消えた。試合後、引退か現役続行かについては、明言を避けた。

王者 サラゴサ TKO 11回2分47秒 辰吉丈一郎

55.3キロ(メキシコ) 55.3キロ(大阪帝拳)

 両まぶたから鮮血をしたたらせながら、それでも辰吉は訴えた。首を振りながら「何でや、まだオレは元気やないか」と叫び、グローブをはめた両手をロープにたたきつける。「レフェリー、何で止めるんや」と場内の声もわき起こる。だが、止められた試合は、動かない。ベルト奪取、2階級制覇の夢は、血の海の中に消えた。

傷ついた顔をキャンバスにこすりつけた。王者が高々とベルトを掲げる隣で、辰吉は土下座した。「ファンに謝るしかないでしょう。僕のようなしようもない人間のために、あんなに応援してくれて。死んだらええと思ってほしい。僕も死にたい」と、試合後の記者会見でつぶやく。リングを下りるときも、ファンに向かって両手を合わせ謝った。

 万全を尽くした世界戦で、最悪のシナリオが待っていた。1回、サラゴサの左ストレートを顔面に食い、フラつく。リズムを狂わされ手が出ない。左を殺され、右ストレートも決定的なダメージを与えられない。大ベテランの術中にはまっていく。4回に左、8回に右まぶたを切り、流れる血で視界を失った。11回は、棒立ちで連打を浴びた。試合続行を訴える辰吉の声も強がりだった。

 負ければ引退の薬師寺戦に敗れ、それでもワガママを貫き、JBCのルールを変えた。網膜はく離から復活したボクサーが、再び世界王座に就く。日本ボクシングの新たな歴史を刻むはずの試合で完敗した。「才能なかったんでしょうね。サラゴサは、尊敬できる強い王者だった。すべての面で数段上。大人と子供でした」。サングラスで腫(は)れた目を隠し、辰吉は完敗を認めた。

 この試合にかけていた。島田信行トレーナー(33)が「今度負けたら、表を歩けない。絞首刑の気持ちでしょうね」と話していたほど。

「この場でまたやりたいと言ったらカッコ悪い。僕も男ですから」と、今後については明言を避けた。気持ちに整理をつけながら、辰吉は二つに一つの結論を出す。

 ★井出ドクター 2回のチェックまでは、これ以上ひどくならなければ、いけるという判断だったが、11回はかなり打たれて傷が広がっていた。あれ以上試合続行不可能ということ。両目とも3センチ、深さは左が1センチ、右が0・5センチ。

※記録と表記は当時のもの