WBA世界ミドル王者村田諒太(33=帝拳)が初防衛に成功した。KO率8割を誇るホープの同級8位スティーブン・バトラー(23=カナダ)の挑戦を受け、5回TKO勝ちを収めた。

昨年10月、米ラスベガスで臨んだロブ・ブラント(米国)との2度目の防衛戦前とシチュエーションが似ていた。当時WBA1位だったブラントに勝てば、次は世界的知名度の持つ王者との統一戦プランが実現しそうだった。今回のバトラーは村田戦決定までWBO1位にランクし、同団体の指名挑戦権を保持していた。勝てば、来年にビッグマッチが組まれる可能性が大きい。ほぼ同じ状況に置かれた村田は、1年前を振り返った。未来ばかりを見すぎ、眼前の準備を整えていたかどうかを自問自答した。

「ブラント1戦目もモチベーションは持っていた。でもブラント対策はなく、練習の中身がなかった。しっかり中身を詰める作業が大事だった」

地道な1歩の積み重ねが未来につながる。頭を整理することで、バトラー戦だけに集中できた。「世界へアピールという気持ちはない。この1戦に懸けないといけない。世界へアピールなんて思って試合したら、ブラント1戦目も負けてますし。同じ轍を踏まないように、1戦集中したい」。

長男晴道くん(8)がインフルエンザと副鼻腔炎、そして長女佳織ちゃん(5)もインフルエンザとなり、5週間近くも都内の自宅に戻ることができなかった。「家族に会えないことを力に変える」とホテル生活を続けた。食事はホテル内で済ませたものの、トレーニングウエアやジャージーなどの洗濯は自ら手洗いしたという。

12年ロンドンオリンピック(五輪)で金メダルを獲得する前の遠征先では洗濯機がない場合、同じように手洗いしていた思い出がある。洗濯物を絞った際、手の皮がむけた経験もある。「あの時、オレは何もなかったなって」。現在の環境に感謝しながら、ガムシャラだった若き自分を思い出し“原点回帰”。今の立場を感謝しながら、年末舞台に向けて自然と気合が入った。

これで初防衛戦をクリアし、来年にはWBAスーパー、WBCフランチャイズ王者サウル・アルバレス(メキシコ)、IBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(カザフスタン)らとの対戦が現実味を帯びる。「日本人ボクサーとしてある程度の名声をいただきましたが、ボクサーのトップ・オブ・トップかといえば、まったくそうではない。それを目指したいという気持ちがモチベーションにあります」。五輪イヤーとなる20年に、その夢を実現する。

▽村田の話「控え室で調子が良くて、倒せると空回りした。負けたら(アナウンサーの)木村さん泣くでしょ。だから一生懸命やったんですよ。(次戦に向けて)会長、リアルな試合をお願いします。トップ・オブ・トップに行きつきたい。(来年に向けて)東京五輪で花を添えるためにも頑張ります」

◆村田諒太(むらた・りょうた)1986年(昭61)1月12日、奈良市生まれ。伏見中1年で競技開始。南京都高(現京都広学館高)で高校5冠。東洋大で04年全日本選手権ミドル級で優勝など。11年世界選手権銀メダル、12年ロンドン五輪で日本人48年ぶりの金メダルを獲得。13年8月にプロデビューし、17年10月、WBA世界ミドル級王座を獲得し、日本人で初めて五輪金メダリストがプロ世界王者となった。家族は佳子夫人と1男1女。183センチの右ボクサーファイター。