一発のパンチですべてが変わるボクシング。選手、関係者が「あの選手の、あの試合の、あの一撃」をセレクトして語ります。『天才パンチャー』の異名を取った元世界2階級制覇王者(WBCフェザー、WBA、WBCスーパーフェザー)柴田国明さん(73=ヨネクラ)の忘れられない一撃は「キングピッチを初回にKOした海老原の左ストレート」です。

    ◇    ◇    ◇

▼試合VTR 1963年(昭38)9月18日、東京都体育館で世界フライ級王者ポーン・キングピッチ(タイ)に、同級4位の海老原博幸(協栄)が挑戦した。初回終盤、海老原はサウスポースタイルから『カミソリパンチ』と呼ばれた左ストレートで痛烈なダウンを奪うと、立ち上がった王者に連打でラッシュ、最後は再び左ストレートをさく裂させて1回KO勝ち。白井義男、ファイティング原田に続く、日本人3人目の世界王者になった。足をけいれんさせたキングピッチはしばらく立ち上がることができなかった。

    ◇    ◇    ◇

あの海老原さんの左ストレートは、今も鮮明に覚えています。それほど美しかった。“前、後ろ、前、後ろ”と彼特有のフットワークのリズムに合わせて、“パーン”と放ったパンチ。足と手のタイミングがぴたりと合って、体重移動から拳の握り具合まで完璧でした。まさにサウスポーのお手本とも言える左ストレート。挑戦者のリズムに引き込まれていたキングピッチはよける術がなかった。あれを正面からアゴに食らったら立てません。

海老原さんの左は“カミソリ”と呼ばれるほど切れ味鋭かった。パンチの威力は筋力やパワーだけでは生まれません。スピード+正確性+パワー。この3つが1つになって初めて破壊力のあるパンチが打てるのです。それが海老原さんの左ストレート。あのタイミングは理屈ではなくて、金平会長との長い練習の中で体に染み付いていたのでしょう。だからあの一瞬に出せたのだと思います。

キングピッチ-海老原戦は、まだプロデビューする前にテレビで見ました。衝撃を受けたというより、ただ感激しましたね。後年、海老原さんとゴルフをした時にあのパンチについて聞いたら「柴田くん、あれはよく分からないんだよね」と答えました。狙ったのではなくて、無意識に打ったからだと思います。僕もKOしたパンチは不思議と力が入っていなかった。体感で打っていたとしか言いようがないですね。

海老原さんはパンチも強かったけど、特にすごかったのは足の動きなんです。前後のフットワークは世界一。一方、ファイティング原田さんは首を左右に振ってリズムを取るのが抜群でした。僕は上体や肩を小刻みに動かすボディーワークを生かしたリズムボクシング。ボクシングで強くなるには、自分のリズム、つまり型をいかにつくるか。当時の世界チャンピオンは、みんな自分の型を持っていました。私も自分の型にはまったときは負けませんでしたよ。

◆柴田国明(しばた・くにあき)1947年3月29日、茨城県日立市生まれ。65年3月プロデビュー。才能は日本歴代屈指と言われ『天才パンチャー』の異名を取った。70年12月に敵地メキシコで名王者サルディバルを13回KOで下してWBC世界フェザー級王座獲得。3度目の防衛戦で敗れたが、73年3月にWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得して2階級制覇。2度目の防衛戦で王座を手放すも、74年2月にWBC同級王座を獲得。3度の防衛に成功した。77年に引退。通算戦績は47勝(25KO)6敗2分け。163センチの右ファイター。名門ヨネクラジムの最初の世界王者。

【ボクシング、忘れられないあの一撃/まとめ】はこちら>>