待ちに待った鬱憤(うっぷん)爆発KOで世界奪取だ。WBO世界フライ級3位中谷潤人(22=M・T)が2度延期の末の世界初挑戦。同級1位ジーメル・マグラモ(26=フィリピン)を接近戦でも手数で圧倒した。8回に左でロープに吹っ飛ばし、2分10秒KOで仕留めた。

コロナ禍で外国選手を招いた国内初の世界戦。中1で世界を目指し、中卒で単身米国修業を経験した末にデビュー21連勝(16KO)で夢を結実させた。2年ぶりの新王者誕生で、国内男子の現役世界王者は7人となった。

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世界戦発表から266日。中谷は散々振り回されたコロナも相手も吹っ飛ばした。KO負けのなかった相手に10カウントを聞かせた。新王者誕生の熱気は控えめも、期待に応えたホープは大きな拍手に包まれた。リングサイドの家族に「ありがとう」と右拳を突き上げる。涙する母府見子さんの姿に「親孝行できた」と実感した。

初回に左ストレートをさく裂させた。「いいパンチを効かせて組み立てやすかった」とペースをつかむ。2回から接近戦も500回を越すスパーで徹底した対策が実る。手数で弱らせ、押し返した。「スタミナも精神的にも弱っているのが分かった」。

7回には「セコンドからしっかり仕留めろ」とKO指令が出た。得意の距離ある戦いに戻し、変化をつけての仕上げ。8回に頭からきたマグラモを左アッパーで起こしてのフィニッシュ。ダウンする相手に「終わったな」と確信した。

2月に待望の世界初挑戦が決まった。3月の米国キャンプ中に4月開催は延期となった。8月開催を再発表も再延期。この間に水面下でも3度日程調整したが、断念せざるを得なかった。走り込みには3度も行った。実質5度延期を乗り越えての試合だった。

15年に家族は三重・東員町から神奈川・相模原市に引っ越し、お好み焼き店をたたんでまでのサポート。昨年8月にはトンテキ名物の「とん丸」を開店し、再び家族で切り盛りも5月に閉店へ追い込まれた。「たくさん試練があったが、結果を出せてホッとした。反省もあるが王者になったので100点」と笑みを見せた。

中1でボクシングを始めると、父澄人さんが店の隣に練習場を作った。ある時、父が開店前に「縄跳びでも」と言ったきり、お客さんが来て忘れていた。1時間半後に気がつくとまだ跳んでいたという。「フライ級の世界王者になる」と書いた張り紙を見ながら。

その夢は実現した。テレビ解説したお手本の元世界王者山中慎介氏と同日奪取。「山中さんのように長く防衛し、統一戦やビッグファイトもやりたい。目標になる王者になりたい」。若き王者はさらなる飛躍を期した。【河合香】

▽中谷の父澄人さん 世界戦の舞台に立てたことだけでもうれしかった。1回で勝ったと思った。KOした瞬間は鳥肌が立った。

◆中谷潤人(なかたに・じゅんと)

・礼儀の空手 1998年(平10)1月2日、三重・東員町生まれ。両親が礼儀作法を学ばせるため、小3から自営する飲食店の常連で師範の極真空手道場に通わせた。小6で143センチに1度も勝てず。

・目標ロペス 常連に体重別のボクシングを勧められ、テレビでも見て興味を持つ。東員二中1年から桑名のKOZOジム入門。3度世界挑戦の石井広三会長が、世界目指して右利きをサウスポーにさせた。リカルド・ロペス(メキシコ)にあこがれ、U15全国大会では中2、3年と連覇。

・単身渡米 石井会長が中3時に交通事故死し、中卒と同時に単身米国修行を決断した。「高校はあとで行ける」と反対の両親を説得。石井会長が師事したマック・クリハラ・トレーナーに3週間指導を受け、試合にも勝った。

・ルディ師匠 その後はルディ・エルナンデス・トレーナー宅にホームステイし、週6日スパーで鍛えられた。岡部大介トレーナーにも指導を受け、3カ月おきに日米往来して米国を含めてアマ14勝2敗。プロでも米国でのスパーで強化してきた。

・デビュー 新人王出場のため、16歳で岡部トレーナーに紹介されたM・Tジムに入門する。17歳になった15年4月に岐阜で1回TKO勝ちしてプロデビュー。16年に東日本フライ級新人王でMVP、全日本新人王も制す。

・階段確実 17年に初代日本同級ユース王座、19年に日本同級王座を獲得した。東洋太平洋王座挑戦の代わりに、前哨戦で元世界王者メリンド(フィリピン)に6回TKO勝ち。

・愛の拳士 三重時代の常連から「愛の拳士」の愛称をもらう。知人が描いてくれたイラストをトレードマークに、三重に約200人の後援会がある。趣味は海釣り、卓球、バスケットボール。171センチ、普段は60キロ。両親と弟の4人家族。

◆記録メモ 中谷は日本ボクシングコミッションが公認する日本の世界王者として91人目となる。18年12月の井上拓真がWBC世界バンタム級暫定王座に就いた後は、世界王座獲得経験のない日本選手は世界戦9連敗中(日本人対決を含む)だった。三重県出身では初。デビューから全勝は24人目で、フライ級は20人目で最多を更新した。日本勢の対フィリピン通算は36勝(14KO)21敗(12KO)3分けとなった。