米プロレスWWEの「キング・オブ・ストロングスタイル」中邑真輔(41)が、米プロレス生活の本音を語った。18日(日本時間19日)、新日本プロレスのIWGP・USヘビー級王者ジョン・モクスリー夫人で元WWEアナウンサーのルネ・ヤングことルネ・パケット氏のポッドキャスト番組「オーラルセッション」にゲスト出演。02年の新日本ロサンゼルス道場での修行時代から現在のWWEでの現状などを明かした。

中邑は「中学校から英語を勉強したが、先生は日本人で完璧かどうかはわからなかった。(02年に)米国に来た時、英語の黙字が分からなかった。『水』と発音もできなかった」と英語に苦戦していた当時を振り返った。ロス道場で一緒にトレーニングしていたロッキー・ロメロ、WWEグランドスラム達成者ダニエル・ブライアンの名前を挙げてサポートを感謝し「ロメロ、ブライアンが英会話を手伝ってくれた。ブライアンとは一緒に住んでいましたし」と明かした。

WWE時代、パケット氏のインタビューに対し、中邑が長く英語を使わずに表情や身ぶりで反応するシーンが何度かあった。WWEで少し風変わりな対応は中邑のコメディー風な才能として米ファンに受け取られていた。パケット氏から「まだWWEの英語インタビューは緊張するのか?」と質問されると、中邑は「はい、それでも。最近はジョークのように短い言葉しか出てこない。米国で有名なジョークであっても、自分は米国で育ったわけではないので分からない」と口にした。

16年からWWEと契約を結び5年近くが経過。17~18年とWWEヘビー級王座に何度も挑戦し、以後、WWEインターコンチネンタル王座、WWE・US王座、スマックダウン・タッグ王座も獲得している中邑だが、今だ米プロレスで自らのスタイルを模索していると謙虚に明かした。

「まだ米国のレスリングに苦労している。米国に、WWEに来ることは難しい。自分自身に挑戦することがここ(WWE)にいる理由。良いタイミング、良い瞬間を見つけることを待っている」。

さらにパケット氏からWWEビンス・マクマホン会長に自らのアイデアを売り込みにいくかどうかを尋ねられると、やんわりと否定した。「彼にアイデアは提案しないです。試合後、試合前に、私のプロモーションアイデアがあれば話しますが。まず慣れる必要がある」と説明した。また新日本時代に対戦経験のあるブロック・レスナーとのWWEマットでの再戦を希望し「もちろん機会があれば」との意向も示した。

WWEでファッショナブルなレスラーとして知られている中邑は、マイケル・ジャクソンの存在が自らのファッションセンスに影響していることも明かした。「彼の雰囲気は武道の達人のように感じた。落ち着き、筋肉が少なく、重力を制御するような動きだった。ステージで最速、最高のダンサー。他ダンサーのように筋肉がすごくないところが武道の達人であるように見える理由」と強調した。

WWEでは新日本時代と同様、赤を基調としたコスチュームが多い。所属するスマックダウンのカラーとなる青を選択するケースがある程度だ。パケット氏からリングギア色の増加ややフェースペイントの可能性を問われ「赤は私のラッキーカラー。あとは青を時々着るかな。(今年の)レッスルマニアのためにホワイトを用意していたのですが、(カードが組まれずに)使えなかった」とのエピソードも明かしていた。