いつもは冷静で、おどけることも多い男の、珍しい姿だった。

 西の支度部屋。結びの一番を取り終えた西前頭2枚目の安美錦(36=伊勢ケ浜)が、横綱白鵬(30=宮城野)との一番を振り返っていたさなか、突然声を震わせた。「執念が見えた」という質問への返答だった。

 「付け人がやめちゃったからね。2人でずっと考えてきた(白鵬相手の)策を、全部出して。こんな状況だからこそ、しっかり相撲を取ろうと…。2人で考えたことなので。余計に勝ちたかったんだけどね…。残念」。

 細い目からは、涙もこぼれた。

 99年11月24日の新十両昇進を告げる電話が鳴った瞬間から15年半、付け人を務めてくれた元幕下扇富士の中沢利光さん(38)が、日本相撲協会の営繕部で働き始めるために4月30日付で引退した。

 春場所10日目に、古傷の右膝前十字靱帯(じんたい)を断裂し、右内側側副靱帯と右膝関節半月板も損傷。その状況で、付け人を離れていいか悩む中沢さんを「自分の人生なんだから」と背中を押し、快く送り出したのが安美錦だった。

 傷は癒えぬまま強行出場している今場所。そばには、常にいたはずの中沢さんがいない。「寂しいというか、いないんだという感じ。自分が『安美』で、向こうが『錦』。2人で『安美錦』のところがあったからね」。その思いは、中沢さんも同じ。だからこそ、心配させる相撲は取れない。

 万全でない体で挑んだ白鵬戦。突き放してくる相手に、我慢して中に入らず勝機を待った。土俵の上で、2人で考えた作戦が、次々と頭に思い浮かぶ。「中沢と一緒に相撲を取っていたみたいだった」。

 右が入って組んだ瞬間、肩透かしで体勢を崩し、すかさず左出し投げで白鵬のバランスを崩した。さらに右からの投げで背後を取る。千載一遇のチャンスが訪れた、かに思われた。

 だが「まわしを握りきれなかった」。白鵬の体の回転に、足が流れた。横綱の脚にしがみつこうとしたが、土俵に倒れた。逃した金星。わずかに実らなかった、2人の宿願。

 「明日から頑張るよ」。

 敗れはしたが、携帯投票で決まる敢闘精神評価は1位だった。執念を見せた19年目のベテランに、惜しみない拍手が送られていた。