日本相撲協会は大相撲11月場所8日目の15日、元大関の西十両3枚目琴奨菊(36=佐渡ケ嶽)の引退を発表した。また理事会で、琴奨菊の年寄「秀ノ山」の襲名が承認されたことも発表した。

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15年10月、浜松市で行われた秋巡業の終盤だった。幕内土俵入りを終えた大関琴奨菊が、自分を見つけると「スマホ貸して」と言ってきた。渡すと1本の動画を開き「これ、見て」と言って去って行った。「鷹の選択」という映像だった。

40歳になったタカは、そのまま老いさらばえて死を待つか、痛みを伴う苦しい旅の末に生まれ変わるか、どちらかを選択する-という物語。琴奨菊は自分に重ね合わせていた。「力が落ちたと認められなくて、オレも前者のタカだった。でも、いろんなことをやっていくと伸びしろがある。できないんじゃなくて、受け入れていないだけだと気づいた。変わりたいんだ」。

2桁勝利は少なく、かど番も5度経験し「ダメ大関」との陰口もあった当時。なぜ自分に打ち明けてくれたのかは分からない。直前に30分ほど話を聞いたからかもしれない。語り出した際の熱量のすごさを今も覚えている。日本出身力士10年ぶりの優勝を飾るのは、それから3カ月後だった。

「鷹の選択」という物語は実はフィクションだった。優勝後、その話をすると驚きつつ笑って言った。「自分は、教えてもらったことはまず全てうのみにする。全て聞く。そこから良いと思ったところを残していく。性格が素直だから」。

旺盛な相撲への探求心。イチロー氏や羽生善治九段、浅田真央さんの言葉、武井壮のトレーニング動画など、よかれと思うモノを取り入れた。情報過多になったこともある。考え方もその都度、変化した。それでも、その時々で自分が信じる道に迷いはなかった。

「変な話、自分はアンパンマンだと思っている。ケガや苦しさで顔が削られても、たくさんの人が助言や行動や愛で補ってくれて、新しい顔を入れ替えてくれる…みたいな。その気持ちに触れることで自信を持てるようになった。自分で言うのもなんだけど、素直だったから良かった」。

素直で相撲いちずだった1人の力士が役目を全うし、相撲人生に幕を引いた。【元相撲担当 今村健人】