大相撲の年寄「間垣」を襲名した元横綱白鵬が1日、東京・両国国技館で引退会見を行い、思い出の取組を2番挙げた。一番は横綱朝青龍から獲得した初金星。もう一番は、連勝を「63」で止められた稀勢の里戦だった。当時の記事を復刻版として掲載します。

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<大相撲九州場所>◇2日目◇2010年11月15日◇福岡国際センター

双葉山に届かず…。横綱白鵬(25=宮城野)が、ついに負けた。東前頭筆頭稀勢の里(24)に寄り切られ、初場所14日目からの連勝は「63」で止まった。297日ぶりの黒星に、うつろな目で花道を引き揚げ、風呂上がりの目には涙が光った。歴代最多69連勝の元横綱双葉山を超えることができず、ショックを隠せなかった。

夢は途切れた。土俵を割った白鵬は、へたり込むように砂かぶり席で尻もちをついた。口は半開き、そして苦笑しながら首をひねる。悪夢を受け入れるまで、しばらく時間がかかった。

白鵬 まあ…これが負けか、ってね。

黒星の味は、初場所13日目以来297日ぶりだった。初日に歴代2位の谷風に並んだばかりの連勝は「63」でストップ。花道を、うつろな目で引き揚げた。普段の倍の20分間、風呂にこもっても、何も洗い流せない。まばゆいぐらいにフラッシュを浴びる両目には、涙がたまっていた。

心にスキがあった。稀勢の里を右で張り、すかさず右腕をねじこんだ。一気に出ていったが、腰が高い。付け人頭の兄弟子光法は「張り差しは、いい体勢になり過ぎて安心してしまう。やめるように言おうと思っていたのですが…」と悔やんだ。突き落とされて体勢を崩し、激しい突き合いから流れは逆転。明らかに勝負を焦ってしまった。

白鵬 相撲の流れでスキがあった。慌てて勝ちにいって。今まで63の白星があって、もう1つ伸ばしてやろうかというスキがあったんじゃないですか。

心身ともに完敗だった。秋巡業中、前頭安美錦が言ったことがある。「稀勢の里の突っ張りは、もろに顔にくる。あれを食らうと、横綱もカーっとなるよ」。張られた顔は紅潮し、明らかに冷静さを失っていた。

泰然自若-。横綱になったころから、白鵬がモットーとする言葉だ。宮城野部屋の個室には、毛筆でこの四字熟語を書いた紙が張ってある。「どんな時でも平常心でいることが大事。でも、それが一番難しいことなんです。体や技でなく、相撲は心が大きい」。71年前、69連勝で止められた双葉山は、何事もなかったかのように一礼し、淡々と引き揚げた。その境地を目指し、言葉を極めようとしたが、やはり奥が深かった。

白鵬 あらためて思えば、(自分は)こんなもんじゃないかな。もう少しいきたかったと思うけど、これはこれで。今日1日、ゆっくり考えさせて。まだ13日ありますから。

見えてきたはずの双葉山の頂に、たどり着くことはできなかった。朝青龍引退や野球賭博…。暗い話題の続く角界を支えた「無敵横綱」の看板は、九州場所2日目に下ろす。歴史に名を残した戦いが、色あせることはない。双葉山は69連勝後に3連敗した。落ち込んでいる暇はない。白鵬は綱の務めを、分かっている。【近間康隆】

▼双葉山 1939年(昭14)春場所4日目、安芸ノ海に外掛けで敗れ、連勝は「69」で止まった。年2場所だった当時、足かけ4年をかけての大記録だった。支度部屋に戻った双葉山は「そりゃあ、あまりいい気持ちじゃないよ。ただ、負ける時は、あんなもの」などと話した。その後、知人に「ワレイマダモッケイタリエズ」(何事にも動じない木鶏にはなれていなかったの意)との電報を送った。

▼千代の富士 1988年(昭63)九州場所千秋楽で、横綱大乃国に負け「53」でストップ。すでに14日目で優勝を決めていたため、V争いと無関係な一番で不覚を取った。前夜は祝杯を挙げていた一方、大乃国は闘志満々だった。15日制初(当時)の3場所連続全勝Vがかかっていたが、負けた後、珍しく笑顔を見せた。「負けたもんはしようがないけど、きょう勝って来場所につなぐのとでは全然違うからね」という言葉とは反対に晴れ晴れとした表情だった。