大相撲名古屋場所(7月9日初日、ドルフィンズアリーナ)で、豊昇龍(24=立浪)、大栄翔(29=追手風)、若元春(29=荒汐)の3関脇が大関とりに挑む。3人同時に昇進となれば史上初の快挙になる。日刊スポーツでは「歴代大関が語る昇進場所」と題して、大関経験者の親方に、昇進に必要な「心・技・体」を聞いた。第9回は元琴奨菊の秀ノ山親方(39)。

   ◇   ◇   ◇

流れは自分でつくるもの-。名古屋場所で大関とりの3関脇に向け、こう強く訴えたのは元琴奨菊の秀ノ山親方だ。大関昇進は11年秋場所後。直前の名古屋場所で、昇進目安の3場所33勝に1勝足りず、計32勝で昇進が見送られた雪辱を果たした。出身の福岡県で行われる次の九州場所を、新大関として凱旋(がいせん)する最高のタイミング。昇進のカギは自分を見つめ直したことだった。

秀ノ山親方 昇進を逃したことで、もう1度、気持ちをつくり直した。同時に自分の強みが何なのかを考えたら、立ち合いの馬力と圧力。そこからは立ち合いの1歩、2歩に魂をかけて稽古した。大関とりの場所は小細工も、ごまかしも利かない。小手先で勝ったとしても、つけは後で出てくる。立ち合いで迷ったり、次の場所で悩んだり。序盤戦を自分の相撲で勝てば、リズムが生まれる。ダメージ、体の負担も少ない。流れは自分でつくるもの。

事実、12勝3敗で昇進を決めた11年秋場所は、初日から7連勝した。さらに節目で入門が同時期のライバルを破り、勢いに乗った。

秀ノ山親方 自分のバロメータは豊ノ島(現タレント)と稀勢の里(現二所ノ関親方)だった。毎場所のように、肌を合わせる相手に良い勝ち方をすると「調子はいい」と確信する。

6日目に当時小結の豊ノ島、10日目に当時関脇の稀勢の里を破った。13日目には2場所連続で横綱白鵬に勝ち、14日目に大関日馬富士を撃破。晴れて3場所33勝の大関目安に到達した。

土俵外でも心身のリフレッシュに努めた。次第に験担ぎにもなったが、15日間、毎日同じ銭湯に通い続けた。さらに場所中に4日ほど岩盤浴に足を運んだ。

秀ノ山親方 銭湯で交代浴で疲労を取って、岩盤浴ではガッツリ汗をかいて、いろいろ考えて疲れた頭を切り替えられた。オンとオフのスイッチの役割。疲れる前に早く対策ができた。

何よりも同じ佐渡ケ嶽部屋の琴光喜、琴欧洲が大関に昇進する姿を見て「自分も」と発奮材料にした。

秀ノ山親方 一緒に稽古した(琴)光喜関の爆発的な当たりよりも(琴)欧洲のまわしを取る力よりも上の力士はいないと思えた。

そんな現役時代を振り返り、大関昇進は「心技体」の何が求められるのか。

秀ノ山親方 現役生活全体としては「体」かもしれないけど、大関に上がる時は「心」が大事。策に溺れたらダメ。自分を貫く。

代名詞のがぶり寄りを磨いて大関をつかんだからこそ、3関脇に自分らしさを求めていた。【高田文太】

◆秀ノ山和弘(ひでのやま・かずひろ)本名・菊次一弘。1984年(昭59)1月30日、福岡・柳川市生まれ。高知・明徳義塾高から佐渡ケ嶽部屋に入門。琴奨菊のしこ名で02年初場所初土俵。04年名古屋場所で新十両。05年初場所で新入幕。関脇で4場所連続2桁白星を挙げた11年秋場所後に大関昇進。16年初場所で初優勝。17年春場所で大関から陥落し、20年九州場所8日目に引退した。優勝1回。三賞は殊勲賞3回、技能賞4回。金星3個。

<「歴代大関が語る昇進場所」連載一覧>

元魁皇の浅香山親方「あれほど屈辱的なことは」最強大関への転機の一番/歴代大関が語る昇進場所1

元出島の大鳴戸親方「良い意味で邪念なかった」意識したのは最後3日間/歴代大関が語る昇進場所2

元栃東の玉ノ井親方「心が最も大事」自信ついた出稽古での切磋琢磨/歴代大関が語る昇進場所3

元千代大海の九重親方、占い師と師匠の予言 心技体で一番重要なもの/歴代大関が語る昇進場所4

元琴欧洲の鳴戸親方 兄弟子琴光喜の苦労見て「ワンチャンスでつかむ」/歴代大関が語る昇進場所5

元琴風の尾車親方 左膝大けが苦労人「まわり道をしたけれど…」/歴代大関が語る昇進場所6

元雅山の二子山親方 「全然眠れなかった」6年後 「心」で上回れば…/歴代大関が語る昇進場所7

元豪栄道の武隈親方、14場所連続関脇の苦労人語る最重要要素は「体」/歴代大関が語る昇進場所8