歌之介あらため4代目三遊亭円歌(59)の襲名披露興行が3月下席(21~30日)の鈴本演芸場から始まります。

先日、襲名の会見&披露宴が都内で行われ、取材に行ってきました。新円歌は鹿児島県出身で、1978年(昭53)に3代目円歌に入門。87年に真打ちに昇進し、歌之介と改名しました。師匠同様に新作をやりながら、古典でもオリジナリティーを発揮する落語家です。

3代目は「授業中」「中沢家の人々」などの爆笑落語で人気がありましたが、17年に亡くなり、2年ぶりの名跡復活となります。初代、2代目も人気落語家だっただけに、新円歌は「400メートルリレーのアンカーのつもり。師匠からバトンを受け取り、恩返しは全力疾走しかない。全力疾走でゴールします」と決意表明しました。

内弟子時代を含め、40年近く、身近にいた師匠が亡くなって、しばらくは喪失感でストレスがかなりたまり、体調も崩したそうです。そんな中、スピードスケートの小平奈緒選手の言葉に救われたと言います。「喪失感で心に穴が開いた感じだった。ある時、テレビで小平選手が『オランダへの留学で心の断捨離ができた』と話す言葉を聞いて、弱い自分を捨てることができた。お礼を言うために会いに行きました」。

3代目は生前、4番目の弟子だった歌之介に4代目を襲名させることを公言していました。一門の集まりで「いつ逝くか分からないので、決めておく」と話していたそうです。兄弟子たちも師匠の思いを受けて一致団結し、襲名を後押ししています。先代と似ているところを質問された新円歌は「おばあちゃんっ子なことぐらいかな。似てないのは、師匠は芸者が好きだけど、私は芸者は嫌いです」。

先代の生まれた年には「昭和4年」と「昭和7年」の2説あり、一般的には「昭和4年生まれ」と言われていましたが、新円歌は師匠の死後に真実を知ったという。「通夜の夜に、飲み屋で師匠の出身校の岩倉鉄道学校の卒業生に会ったんです。その人は昭和6年生まれで、師匠を『1年後輩』と言ったんです。ということは昭和7年生まれが正しかったようです」。先代が「昭和4年」とウソをついた背景には、入門したばかりの時期に5代目春風亭柳朝と言い合いになり、柳朝が「おれは昭和4年生まれだ。お前は何年生まれだ」と聞かれ、負けず嫌いの先代は後輩とは言えず「同じ昭和4年生まれだ」と言ってしまったのが真相のようです。

そんな愛すべき師匠のもとで育った新円歌は、師匠からの「捨て寝、捨て耳をするな」という言葉が強く印象に残っているという。「ネタはどこにでもある。『真剣に見て、真剣に聞きなさい』ということ。無駄なことを言わず、『最短距離で笑わせなさい』とも言われた。大切な言葉です」。50日間の長い襲名興行では、「今は師匠をライバルと思えるようになった」という新円歌の爆笑落語が楽しめそうです。

【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)