落語芸術協会(春風亭昇太会長)所属の柳若あらため春風亭柳雀(50)春風亭昇也(39)の真打ち昇進披露興行が5月1日から東京・新宿の末広亭で始まります。瀧川鯉昇門下の柳雀は08年に37歳で、昇太門下の昇也も09年に26歳で、それぞれ入門しました。柳雀はIT企業の元会社員、昇也は元漫才師です。

柳雀は披露興行中の5月26日には51歳の誕生日を迎えますが、柳雀以上の年齢で真打ちに昇進した落語家がいます。2015年に落語協会(柳亭市馬会長)では10人も真打ちに昇進しましたが、その中に57歳の柳家海舟、52歳の桂右女助もいました。海舟はサラリーマンだった時に後に師匠となる柳家小里んと出会い、素人として落語に取り組む中で、42歳で一念発起して落語界に飛び込みました。右女助も海外で観光ガイドの経験があり、旅行代理店、葬祭業を経て、37歳で三升家小勝に入門しました。真打ち昇進前に千葉大文学部に入学し、時代小説を書いたりと多彩な人です。

60歳を超えて真打ちになった人もいます。講談の神田紅葉さんは普通の主婦でしたが、49歳から講談教室に通い始め、50歳になった01年に神田紅のもとに入門しました。16年秋に真打ちに昇進することが決まったのですが、直後に末期の胆のうがんと判明。がんと闘いながら16年9月に65歳で真打ち披露興行を行い、その後も高座に上がりましたが、翌17年に66歳で亡くなりました。落語では立川らく朝さんは62歳で真打ちになりました。もともと医師でしたが、立川志らくのファン向け私塾「らく塾」を経て、00年に46歳で正式に志らくに弟子入りしました。医師をしながら活動し、真打昇進トライアルは3度不合格でしたが、4度目に合格。16年に真打ちに昇進しましたが、その後、病気療養し、21年に67歳で亡くなりました。

柳雀も東海大で昇太会長もいた「落語研究会」に所属し、落語家になる夢を持っていたものの、卒業後はIT企業に就職。係長となり、次は課長の昇進試験が待っていたのですが、そこで思い直したそうです。「試験を受けると人生が決まってしまう。課長はまずいな」と、学生時代からの夢だった落語家となるべく、瀧川鯉昇のもとに入門しました。「会社はチームで仕事をするけれど、落語は自分の差配、責任でできる。自分で監督にもなれるし、脚本も書ける」。37歳での転身に後悔はないようです。

「笑点」のレギュラー入りした桂宮治も31歳の時に会社員から落語家になりました。立川流の立川寸志は子育て雑誌「たまごクラブ」などの編集者でしたが、11年に44歳で立川談四楼門下に入り、54歳の現在は二つ目です。「人生100年時代」と言われる今、「好きなことをやりたい」と30代、40代での転身も増えていくかもしれません。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)