コロナ禍で演劇界も公演中止などで大きな打撃を受けたが、劇団四季も例外ではなかった。20年には中止した公演が1000ステージを超えた。1998年からロングランをスタートしたミュージカル「ライオンキング」も20年2月から同年7月まで休演を余儀なくされた。客席数を減らすなどして再開したが、20年を超えるロングランを支えた修学旅行生の姿は消えたままだった。

19年には6万7000人もの修学旅行生が訪れ、20年にも前年を上回る6万8000人が来場する予定だった。生まれ育ったプライドランドを出て、慣れない土地で成長するも、再び生まれ故郷に錦を飾る主人公シンバを中心としたストーリーや、動物たちの生態をリアルに再現したパペットなどは、初めてミュージカルを見る人にも分かりやすく、一緒に見た仲間と感動を共有する体験ができた。さらにロングランを続けていることから、学校側が早い段階でスケジュールを組むことができるという利点もあるため、修学旅行でも人気があった。しかし、コロナ禍で修学旅行自体が軒並み中止となり、結果、20年の来場はゼロだった。

21年には徐々に来場者も増えたが、修学旅行生が同年で初めて来場したのは10月だった。1年8カ月ぶりのことで、最終的に21年の修学旅行生は約2000人だった。22年は感染者数も減ってきたため、「ライオンキング」を上演する有明四季劇場にも修学旅行生たちの姿も戻ってきている。コロナ前は修学旅行の半分以上が東北の学校だった。21年は秋田県と福島県の5校436人と少なかったが、22年には東北からの137校1万211人を含めて1万7000人の来場を予定しているという。コロナ禍前に比べると少ないが、復活の兆しは見えている。

修学旅行で生まれて初めてミュージカルを見て、舞台のファンになった人は多いけれど、ミュージカル俳優になった人もいる。劇団四季の厂原(かんばら)時也(37)は北海道の離島の奥尻島出身で、高校2年の修学旅行で「ライオンキング」を見て、ミュージカル俳優を志した。大学はミュージカルコースで学び、06年に入団。16年にはシンバを演じている。「ライオンキング」を見るまでは保育士か調理師になろうかと考えていたという。修学旅行での出会いが人生を変えた。【林尚之】(ニッカンスポーツ・コム/芸能コラム「舞台雑話」)