乃木坂46の林瑠奈です。



人生の中で、自分の気持ちを

相手に伝える瞬間って沢山ある。



本当に些細なことから、

【重大発表!】という見出しがつくぐらい

大きな告白まで。



日々私たちは対話をして生きている。



そんな中、感謝を伝える場面が

巡ってくることも少なくない。



メール、電話、手紙、直接会って話す…。



伝え方は沢山あって

そのときどきによって使い分けている。



だが、直接面と向かったり

電話で声を聞きながら伝えるのに

恥ずかしさを覚えて、

手紙を選ぶ人も多いのではないだろうか。



「恥ずかしいから文面にしよう」

と思ったとき、

メールだとなんだか味気ないけれど、

手紙はその人の字に魂が宿るような、

そんな重みを感じるからちょうどいい。



だから今まで私の中での

〝伝える〟というハードルは



会うよりも手紙を書く方が

低くなるのだという結論だった。



しかし、

そうとも言い切れないなと最近感じた。



恥ずかしさも十分含むが、

その根底には相手との関係性がある。



10年間お世話になったピアノの先生と、

いつも顔を合わせているクラスメートの2人、

感謝する内容も異なれば、歩んだ時間も違う。




クラスメートは、毎日顔を合わせている分、

きっと直接改まって感謝を伝えるのは

恥ずかしいと感じるし、

手紙だからこそ書ける内容もある。



一緒にいることが当たり前になりすぎて、

普段言えないような照れくさいことも

〝手紙なら〟となるだろう。




でも、10年お世話になった先生というのは、

いざ手紙を書こうとしても

何を書いていいのか

わからなくなるんじゃないだろうか。



長い間を共に過ごしている分、

手紙にかける内容が膨大すぎて、

書いている途中にも

「そういえばあんなことも」と

思い出のフラッシュバックが激しい。



箇条書きのようにして

書いてもいいなら別だが、

どんどんと蘇ってくる記憶に

手は追いつかない。



拙い言葉でまとまりがなかったとしても、

記憶をたどりながら

感謝を伝えることになる相手には、



直接話す方が

思いを伝え切れるんじゃないかと思うのだ。



ただこんなことを言っていても、

これに当てはまらない例だってある。



ドラマや映画の世界では、

あえて言葉にはしないことで

お互いを分かり合っていたり、

思いが伝わっていたりすることも多い。



感謝を伝えることというのは、

告白なんかよりもよっぽど

難しいことなんじゃないか?とさえ思う。



端的にまとめることはできない、

複雑で大きな感謝を伝え切るって大変だ。

(ニッカンスポーツ・コム「乃木坂46林瑠奈 負けるな!しょげるな!乗り遅れるな!」)