「二番福」に輝いた直後、米俵をかつぐ伊丹祐貴(撮影・松浦隆司)
「二番福」に輝いた直後、米俵をかつぐ伊丹祐貴(撮影・松浦隆司)

商売繁盛の神様「えべっさん」の総本社、西宮神社(西宮市)で毎年1月10日早朝に行われる神事「福男選び」。今年の「二番福」に輝いた、吉本興業所属のお笑い芸人、伊丹祐貴(31)に「福男」の御利益を聞きました。

「怒濤(どとう)の1年でした。人生も、芸人としても転機の1年になりました」

芸人初の「福男」の表情からは充実感があふれています。福男になった直後には仕事量が5倍になり、バラエティー番組などに引っ張りだこ。年初にスタートダッシュを決めた勢いは止まらず、1年を過ごしたようです。

4月には目標にしていた吉本新喜劇の最終オーディションに合格。6月1日に晴れて新喜劇に入団し、10月に舞台デビューを果たしました。カップル、刑事、強盗、さまざまなジャンルの役に挑戦中です。

現在の仕事量は? 「去年は舞台2本ぐらいしか出ていませんでした。いまは毎日のように出させていただいています」。

こちらが「月平均20本として…、計算すると、う~ん、仕事量は200倍くらい?」とボケ気味に振ると、「200倍って!? プロ野球選手の年俸みたいですやん!(笑い)。山田哲人になれますよ」と自信満々のツッコミが入りました。「もともとが少ないので、200倍は言い過ぎです。20倍です。200倍はM-1優勝ぐらいです」。

仕事量もですが、何よりも、福男になったことで芸人としての「自信」を手に入れたようです。

「福男になったことで何事に対してもポジティブになった。福男になるまではネガティブで自信がなかった。芸人をやめよう-。そこまで思ったこともありました」

人前に出て話すことが好きで芸人の道を志し、大学4年で吉本総合芸能学院(NSC)に入学。賞レース出場のためコンビ結成と解散を繰り返しましたが、苦難の連続でした。昨夏には活動していたお笑いコンビ、ファイトクラブを解散し、ピン芸人に。福男になる直前の昨年12月、芸人としての収入がゼロになりました。

そんなとき、「えべっさん」がほほ笑みました。「福男になれたんだから、なんでもできる」。自然と気持ちは前向きになり、物事のとらえ方も超ポジティブになりました。

「自信がないまま舞台に行くと、ウケない。本来ならツッコむ場面で『スベったらどうしよう』と弱気になり、引いてしまうこともあった。福男と笑いは関係ないんですけど、いまは『行ってまえ!』です」。えべっさんが後押ししてくれます。

福男はその年の福を一身に集めるのではなく、福を周囲に分け与える大きな役割があります。

「周りに結婚する人が多かったです。福男になって、元芸人の先輩にあいさつにいったその週に先輩の奥さんの妊娠が分かった」。さらに親しい先輩や後輩の芸人が賞をとることも多かったそうです。「もちろん、その人の実力なんですが、ずっと一緒にやっていた先輩が賞をとったりするのは、うれしかった」。

“福男事効果”で持ちネタも増えました。名前にひっかけた空港ネタ「だれが羽田や、成田ちゃうで、伊丹やで!」。最近は「もちろん」の変形系「もちの、ろんよ~」、「マジ」の変化球「マジッ、で~!」。「ちょっとスベり気味? 」の質問には「いや~、いまはがむしゃらです」と、自信満々? です。

この勢いのままに、2年連続の福男を狙う? 05年からトラブル防止のため、くじ引きを導入後、2年連続の福男は2人だけ。2年連続の芸人の福男は史上初? 「出たい気持ちが半分、もう半分は開門の門を開ける役目をやってみたい。開門できるのは過去の福男事だけだそうです。芸人初の“開門”も魅力的です」。

笑う門には福来る-。芸人初の福男は、来年も「笑福」を目指して疾走します。【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

今年の「二番福」に輝いた、吉本興業所属のお笑い芸人、伊丹祐貴(撮影・松浦隆司)
今年の「二番福」に輝いた、吉本興業所属のお笑い芸人、伊丹祐貴(撮影・松浦隆司)