俳優で歌手の寺尾聰の記事が興味深い。
主演映画「父と僕の終わらない歌」についてのインタビュー。開始29秒で「録るの? やめてくれる?」と寺尾から言われ、セットした録音機材を止めた村上幸将記者(日刊スポーツ)の原稿だ(ネットでも読めます)。
昨今、取材現場では記者会見であっても、個人インタビューであっても、ボイスレコーダー(音声記録装置)を取材対象(この場合は寺尾)の前に置くのが当たり前になっている。記者からすれば「発言内容を間違えて記事を書いては元も子もない。確認のため録音を聞きたい」というセーフティーネットの意味合いがある。
これに対し、村上記者に寺尾が言ったのは「間違えてもいい」「俺の言葉を書き起こされると、つまんないんだよ」。
その現場では緊張感が走ったそうだが、わたし流に解釈するなら「自分の生の言葉をしっかり受け止めてほしい」とする寺尾の主張であり、さらには「録音された音声と、生の言葉は別ものだ」という意思を感じる。
生の言葉には、話し手の表情や熱量が込められており、まずはそこを重視して欲しい、というメッセージなのだろう。
そのあたりの寺尾の真意については、原稿のなかで村上記者も考察していた。だから、この記事は他に見られない切り口があり、そこがおもしろい。
想像してみる。大ベテランの俳優に「録音、やめてよ」と言われたら、小心者のわたしならビビってしまい、あわててレコーダーを引っ込めるしかない。
ただ、ふだんのわたしは取材の場で録音機材を使うことはしない。それは記者会見であっても、個人インタビューも同じ。せっせとノートに文字を走らせながら、できるだけ取材相手の顔を見るようにしている。
正直にいえば、話している言葉が10あれば、メモしているのは1か2しかない。コメントの中から原稿にしたい部分をコンパクトに書き留め、さらにそこから追加質問をしたり、不明なことがあればその場で相手に確認する。
記者の立場でいえば、録音するもしないも、自分で判断すればいい。ずぼらな性格でアナログ記者のわたしは「どうせ後で聞けばいい」と気を抜いてしまうので、録音はしない。
そして取材される側も、違和感があるなら「録音はやめて」と言えばいいと思う。インタビュー中の写真撮影はNGで、別に撮影タイムを設定するというのがよくあるパターンだ。それと同じ。
今回、原稿の書き方、取材する側とされる側の関係。いくつものことをあらためて考える機会になった。それは寺尾が本音で村上記者に迫ったからこそ。そして記者側も表面のみ繕うのではなく、本音で応じたため、読む者をひきつける記事となった。【三宅敏】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミへキタへ~」)




