名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」第26回は、松村和子のヒット曲「帰ってこいよ」です。ロングヘアをなびかせて、津軽三味線をギターのようにつま弾きながら熱唱する異色スタイルで話題を集めた。大胆なキャンペーン作戦が功を奏して、若者の心もつかんだ。

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松村和子が「帰ってこいよ」に出合ったのは17歳の時だった。デモテープを初めて聞いた時、思わず「ダサい」とつぶやいた。

当時、故郷の北海道で、父親が社長を務める芸能事務所に所属し、民謡ショーのステージに立っていた。歌が絶品で、三味線も巧みにこなし、北海道や東北の各地を回っていた。レコード会社の民謡オーディションを受けたのがきっかけで、レコードデビューするチャンスをつかんだ。

そうしてつかんだ待望のデビューで決まった曲が「帰ってこいよ」だった。青森・岩木山の山麓に住む青年が、上京した彼女を思い「帰ってこいよ」と呼びかける歌だった。「民謡歌手・松村」を想定した、イメージ先行の曲だった。

実は松村には、民謡とは別世界のニューミュージックの歌手として活躍する夢があった。その頃に暮らしていた部屋には、イーグルス、ビージーズなど、民謡とはまったく結びつかない洋楽のレコードが段ボール箱にぎっしりと詰められていた。

生まれた時から接してきた民謡は決して嫌いではなかったが、松村は「とにかく歌いたかった。歌える場所があれば、どこでもよかった。その場が民謡というだけだった」と思い返す。

デモテープを聞いた段階では「ダサい」と思った曲だったが、レコーディングを終えると、松村は自分にぴったりと合っているのではないか、もしかしたらヒットするのではないかと予感していた。自分の三味線で歌う曲が、段ボール箱の中からよく引っ張り出して聞いたロックの曲調と、不思議にも一致し始めたからだ。松村の中で、故郷を歌う演歌が、斬新(ざんしん)な「ロック演歌」に変身し始めた。

「帰ってこいよ」は、1980年(昭55)4月に発売された。演歌系の曲の宣伝は、全国のレコード店や有線放送局を地道に回るキャンペーンが主流だったが、松村は東京・新宿のライブハウス「ロフト」などで行われたロックライブに飛び入りで参加するなど、意表を突いた。無名の演歌歌手が予告なしに突然ステージに現れたのだから、会場は一瞬静まり返ったが、松村が歌い出すと、異様な盛り上がりを見せた。

ライブハウスだけでなく、東京・原宿などの歩行者天国でも歌った。当時は「竹の子族」大全盛の時代で、歩行者天国には、オリエンタル調の長い衣装を着てストリートダンスを踊る若者があふれていた。松村はその輪の中に飛び込んだ。衣装は赤の布地に金糸、銀糸の刺しゅうを織り込んだド派手な振り袖で、着物の下半分を切り、流行のパンタロンを合わせた。民謡時代の衣装を絶妙にアレンジしたものだった。若者たちは、松村の登場に目を丸くしたが、歌い終えると、やんやの喝采が飛んだ。「私はこの曲を歌うために歌手になった」。こうして歌うたびに、松村は実感した。

最初は「ダサい」と思った歌は、若者からも支持を受け、田原俊彦、松田聖子、河合奈保子、岩崎良美らポップス勢に交じり、日本レコード大賞新人賞を獲得していた。【特別取材班】


※この記事は97年12月19日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。