【最終回へのせりふ】「今の信長様を作ったのは父上であり、そなた。作った者がその始末を成すほかあるまい」

きょう7日に最終回「本能寺の変」を迎えるNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、前週、信長(染谷将太)の妻、帰蝶(川口春奈)が明智光秀(長谷川博己)に語った言葉です。

青春時代、彼女あってこそ結ばれた光秀と信長の友情。それがこじれてどうしようもなくなった今、苦しむ男2人をそこから解き放ってやったのも帰蝶だったという、本能寺への圧倒的な大詰めでした。「作った者がその始末を成す」。これほどつらく、凜(りん)としたせりふはなく、この作品が描いてきた「明智謀反」のドラマ性が突き刺さります。脚本池端俊策氏が描く本能寺の行方が本当に楽しみです。

1話で「麒麟」の伝説を聞いた主人公が、「麒麟を連れてくる誰か」を探して歩き回ったRPGの結末。“まぜるな危険”の2人が運命のように出会ってしまった化学反応と、「比叡山焼き打ち」「上洛(じょうらく)」「将軍追放」などクエストをこなすほど価値観の溝が立ち上がっていくもどかしさがぐいぐい描かれ、特に信長への周囲の心が離れたここ5話くらいは、「どうしてこうなる」という不穏が激アツでした。

帰蝶だけでなく、光秀が信頼を築いてきたあらゆる人物が、それとなく、あるいは直接的に、光秀に“信長排除”の思いを託してくる展開。誰が黒幕だったのかという、あらゆる説に「いくさのない世の中」目線で納得のいく答えを出していました。

正親町天皇(坂東玉三郎)との月夜の面会は、強く印象に残ります。月と権力者の危うい昔ばなしのくだりで「信長はどうか。信長が道を間違えぬよう、しかと見届けよ」(41話)。戦国時代の天皇の存在に大きく踏み込んだこの作品ならではの名場面でした。月そのもののように厳かな姿に光秀が完全にのまれていて、衝撃がよく分かるのです。

39話は、余命短い妻の煕子(木村文乃)が「麒麟を呼ぶ者があなたであったなら。ずっとそう思って参りました」。40話では、反信長で自刃する松永久秀(吉田鋼太郎)が、天下人が持つべき名物という茶釜「平蜘蛛」を光秀に託しています。「これだけの名物を持つ者は、持つだけの覚悟がいる」。いわば麒麟と同じ意味を持つ宝を「売って金にする」という信長は、麒麟ではなかったのだという瞬間でした。

42話は、追放された将軍足利義昭(滝藤賢一)が「十兵衛(光秀)となら、麒麟を呼んでこれるかもしれぬ」。徳川家康(風間俊介)は、光秀と密会の場を設け、「今の信長様では天下はひとつにまとまりません」と訴えています。43話では、伊呂波太夫(尾野真千子)が「世の中は公家だけでも武士だけでもない」と、民の立場から光秀が治める世を求めています。

積み上げてきた人望が、ここを目指して一気に手をつなげての本能寺。その全貌に期待が高まります。同時に、「麒麟がくる」というタイトルがどう回収され、誰の頭上に現れるのかも大きな注目を集めています。個人的には、麒麟を探して歩いた光秀の道のりそのものが麒麟、ということでいいんじゃないかという心境。架空の霊獣という意味ではユニコーンみたいなファンタジックなものなので、「誇りを失わぬ者」「志の高き者」「心美しき者」(41話)の魂に寄り添うような存在であったらいいなと、ざっくり願っています。

最終回に向け、池端氏は「光秀と信長の『不思議な友情物語』を1年通して描いてきました。光秀は信長を殺したくて殺すわけでもなく、憎らしいから殺すわけでもありません。やむを得ず、自分の親友を殺したんです。大きな夢を持った人間は、やはり大きな犠牲を払わなければならない。その心の痛みを描きました」。不思議な友情の行方を、しっかり見届けたいと思います。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)

大河ドラマ「麒麟がくる」(C)NHK
大河ドラマ「麒麟がくる」(C)NHK