日本初演から30周年を迎えたミュージカル「ミス・サイゴン」(帝国劇場)がこのほどスタートした。

初参加でヒロイン、キム役を演じる高畑充希(30)の回を見たが、劇場ごと世界観に巻き込む力強い歌声に圧倒された。紛争やコロナ禍で誰もが疲弊する中、どんな状況下でも必死に生きるヒロインの姿はひときわ目に染みる。初演キャストとしてこの役に命を吹き込んだ本田美奈子さんのキムがふと重なり、30年受け継がれた作品の重みを実感した。

物語は、ベトナム戦争末期のサイゴンで出会った少女キムと米兵クリスの悲恋を描く。サイゴン陥落の大混乱で1人残されたキムが、ナイトクラブの雇い主、エンジニアとともに国を脱出し、米国行きを目指す道のりが描かれる。

戦争で両親を亡くした17歳のキムが、米兵相手のクラブに身を投じる場面から物語は始まるが、不安と覚悟を行き来する高畑の表情がしっかり17歳に見えて、物語に引っ張ってくれる。クリスと恋に落ちて歌うナンバー「世界が終わる夜のように」。はかない幸せを予感させる序盤の名曲を、これだけ情熱的なアプローチで聞いたのは初めて。むくな強さと危うさをしみじみと感じさせ、1幕のラストで歌う最大の見せ場「命をあげよう」の迫力が生き生きと立ち上がった。

高畑版の「命をあげよう」を聞きながら、92年の初演で本田美奈子さんが演じたキムがくっきりと思い出された。細い体はいかにもキムの境遇を思わせ、わが子のために自分の命もあげようという母性の気迫を、持ち前の圧倒的な歌唱力で表現していた。

アイドル絶頂期の24歳での挑戦。キムの要素をどこから引っ張り出しているのか聞いたところ、「素晴らしい曲の数々が私をキムにしてくれるから大丈夫」と話してくれたのを覚えている。オーディションでは「心臓が口から出そうだった」というが、稽古が始まり、作品の音楽に触れるようになると、そんな境地になったのだという。デビュー以来「これがないとダメ」と、お守りのようにつけていた指輪もあっさり外すほど、この役を信頼していた。筆まめな人で、「全力でキムを演じる」という思いをつづった直筆の手紙をあらためて読み返し、いろいろ懐かしい。

今作のパンフレットで、高畑が「キムがその気持ちになった時、楽譜の中でもその気持ちの音がやってくる。音に手を引いてもらえているような気がして安心する」と書いているのを読んで驚いた。あの時、美奈子さんが言っていたことが30年越しに少し分かったような気がして、初代のDNAが、音楽を通して自然と受け継がれていることを実感した。

トップアイドルから“イチ新人”として役をつかんだ美奈子さんの思いの丈も、あこがれの「ミス・サイゴン」でようやくステージに立った高畑の思いと重なる。28歳で「年齢的に最後かもしれない」とオーディションで手にした20年公演は、新型コロナの感染拡大で全日程が中止になった。夢をかなえて30歳で臨むキム役は、生き生きと澄んでいて、強い。22年版を、この人で見ることができてよかった。

まあとにかく、帝劇の天井を軍用ヘリのプロペラ音が旋回するド頭の演出からすべてが大スケールで展開するのが「ミス・サイゴン」のおもしろさ。はうような人生でもしぶとくアメリカンドリームを目指すエンジニアから、どん底でもしたたかで優しい酒場の女性たちまで、それぞれの場所で必死に生きる人たちの姿は、結末にかかわらずどれも尊く、かっこいい。何かと心が疲弊する今こそ、こういう作品は処方箋として効く。

東京公演は帝国劇場で31日まで。その後、大阪、愛知、長野、北海道、富山、福岡、静岡、埼玉で公演。

【梅田恵子】(ニッカンスポーツ・コム/芸能記者コラム「梅ちゃんねる」)